「留学史(9)」(2022年10月14日)

農業や商業の学位もインドネシア人に役立つものでない。正農業コンサルタントの資格を
使いたければ、政府に雇われなければならない。商業の学位は生計の資を得るのに、まっ
たく役に立たない。インドネシア人を業務の管理者に据えてひとつの部門を委ねるような
商事会社や銀行がいったいどこにあるのか?事務員や貨物倉庫係だったらいいのか?そん
な仕事が高等教育の学位を持っている者にふさわしいはずがあるまい。

中には、自分の店を開けばいいと言う人がいる。しかしそのための資本はどうするのか?
自分の会社を設立して株式を公開する?高等教育を終えたばかりの人間が経営する会社の
株式に、いったいだれが投資するだろうか?

ワルン商売の経験豊かなクロモやボッイナムのようにマッチや塩魚を一束売って利益を得
るようなことが高等教育を終えたばかりの者に同じようにできるとは思えない。自分の商
品を褒め上げながら消費者が興味を抱いて寄ってくるまで辛抱強く待つのがかれらのスタ
イルなのだから。

それらの学科の高等教育をオランダで受けるためには、HBSやAMSを卒業しなければ
ならない。その他にはSTOVIAまたはNIASの卒業証書も使える。法律学校卒では
オランダの高等学校に入れない。HKSあるいはクヴェークスホールを出ていれば、オラ
ンダの初等教育教員の免状を期待することができる。 
: コロンボにて、1926年12月1日


コロンボ港で船は一日だけ停泊した。コロンボの町はインドネシアにある一般的な町と大
差ない。インドネシア人にとって珍しいものは見当たらない。コロンボにいるヨーロッパ
人の暮らしもシンガポールと似たようなものだ。地元民の中に英語の上手なひとがたくさ
んいる。

地元民の宗教は仏教だ。わたしはコロンボの寺院にあまり興味を持たなかった。メダンに
もシンガポールにも同じようなものがある。しかしコロンボの町とインドネシアの諸都市
の間に大きい違いがひとつある。ヨーロッパ人の店を除いて、町中の商店はすべてセイロ
ン人の店になっていることだ。この町にアラブ人や華人の店は見当たらない。地元民の経
済生活はインドネシアのプリブミよりもきっと高いレベルにあるだろう。話では、輸出事
業も地元民が行っているそうだ。この町に立ち寄る船の乗客たちに宝石がよく売れている。
ところがその宝石はガラス製だと言うひともいる。


コロンボにもイギリスの石炭補給ステーションがある。もちろんシンガポールにもあって、
そこもイギリスが所有している。インドネシアからヨーロッパへ行くまでの間にイギリス
の石炭補給ステーションはあとペリム、ポートサイド、ジブラルタルにある。地球を周回
している電信システムは全部がイギリスのものであり、要所にある石炭補給ステーション
もイギリスのものだ。

ヨーロッパの大戦で世界中の諸民族がイギリスの世界覇権を目の当たりにしたではないか。
イギリス船でない船がイギリスの石炭補給ステーションで燃料を買おうと思っても、イギ
リスにボイコットされたら船は動かなくなる。電信による通信や郵便で手紙を送ると、そ
の内容はすべてイギリスにモニターされている。イギリスが強力な覇権を握っているのは、
国力が豊かで優れた海軍力を持っているばかりでなく、電信や石炭補給ステーションを使
って他国を強制できるからだ。[ 続く ]