「留学史(10)」(2022年10月17日)

スエズ運河もイギリスが握っている。エジプトは運河の収入の一部を得ているものの、し
かも運河を作ったのはフランス人であるにもかかわらず、運河に関する主導権はイギリス
の手中にある。イギリスが運河の主導権を握ったのは、運河会社の株式の多数がイギリス
の手に落ちたからだ。スエズ運河の動向はイギリスの国益に軽視できない影響力を持って
いるのである。

アジアに広大な植民地を持つイギリスにとって、アジアで一朝事あれば本国からの軍隊派
遣が緊急事項になる。世界最大の海軍力をそこに集中しなければならない。そのために大
西洋〜地中海〜スエズ運河の航路はイギリスが握らなければならないのだ。

マルタ島にはイギリス海軍の基地があり、地中海を閉ざされないようにするため、イギリ
スは西端の海峡に基地を設けた。無敗無敵のジブラルタル要塞だ。スペインの海岸線にあ
る岩山の中に要塞が構築されている。そこは本来スペインの領土であるはずなのに、昔イ
ギリスがそこを奪取して要塞にした。イギリスが今のように世界の覇者になっているかぎ
り、ジブラルタルがスペインに返還されることはありえないだろう。


新聞でしばしば報道されているように、大型軍艦の補修が行えるようにするために、シン
ガポールに巨大ドックが建設される予定だ。将来イギリスとアジアの王国、たとえば日本、
との間に戦争が起こったとき、マルタや本国にいる軍艦をインド洋に送り込んで、そこで
容易に決戦を行うことができる。イギリスは将来何が起こってもいいように、組織的に準
備を整えている。イギリス人は雨が降る前に傘を持つ人種なのである。

既に使われ始めている無線電信が世界を覆うようになれば、イギリスの有線式世界電信網
のパワーは失墜する。将来、大規模戦争が起こった時、イギリスの優位のひとつは無力に
なっているかもしれない。

わたしは上で何度も戦争という言葉を使った。最近終わった大戦争はわれわれに教訓を遺
した。現代戦争は世界を破壊してしまうのだ。何百万人もの人命が失われるだけでなく、
もっとすさまじい様相で経済が崩壊するのである。

わたしと同じ乗船客の中に、15年間中国で暮らしたひとりのイギリス人がいた。かれは
中国を去ってイギリスに戻ろうとしていた。中国の最近の状況があまりにも激動に満ちて
いるため、かれは中国から永遠に去ることにしたのだ。闘争的な将軍たちの間で行われて
いる戦争が、豊かだった中国を衰弱させつつあるとかれは語った。

その状況は落ち着く方向に向かわない。なぜなら、イギリス・米国・日本が中国の革命を
終わらせないように仕向けあっているためだ。近い将来、ひょっとしたら年内にでも、中
国と日本の間で同盟が結ばれるかもしれない、とそのイギリス人は打ち明けた。イギリス
と米国はそんなことをさせたくない。その結果、東アジアに戦雲が立ち込めるのは火を見
るよりも明らかだ。

日本の軍事力はイギリスと米国に規模では劣っているが、兵隊の強さ、軍艦の優秀さは決
して劣るものではない。日本軍は今のこの地球上にある最強の軍隊と言えるかもしれない。
兵器と軍人規律はきわめて優れている。日本は自分たちが満足できる規模とパワーの軍隊
を作ることができる。そのイギリス人はそう語った。かれの話がその通りであるなら、ア
ジアで大戦争が起こるのは決してただの空想ではない。もしそんな戦争が起これば、わが
祖国インドネシアはいったいどうなるのだろうか。 : コロンボにて、1926年12
月1日
[ 続く ]