「プルメン(前)」(2022年10月17日)

ライター: ジャーナリスト、アンドレアス・マルヨト
ソース: 2007年8月15日付けコンパス紙 "Permen Jahe, Kisah Panjang Kem-
bang Gula" 

中部ジャワ州トゥマングン県パラカンの町中にある食堂で売られている菓子類の山の中に
ショウガ飴perman jaheがあった。包装紙にGember Bonbonsと書かれているその飴がいま
だに世の中に存在していることに、お年寄りたちはきっと驚くはずだ。東ジャワ州パスル
アンで作られていたその飴は連綿として市場に流通しているのである。長い歴史を秘めな
がら。

中央にショウガの塊茎が描かれ、縁を青と白の市松模様が覆っている包装紙のデザインを
見たら、誰もがその存在を思い出すに違いあるまい。「SINA製飴工場,パスルアン」の生
産者表示が、この飴が昔ながらのものに間違いないことを物語っている。SINAというのは
PT Sindu Amritaの短縮語だ。

ショウガ飴というのはもちろん古くからある菓子だ。数十年どころか、数百年もさかのぼ
ることができる。イギリス人旅行家ジョン・ジョセフ・ストックデールが著したIsland 
of Javaと題する書物の中に、1778年にオランダはcandied gingerを1万ポンド(お
よそ5千キログラム)バタヴィアからヨーロッパに送ったと書かれている。この飴はヨー
ロッパでたいへん好まれた。腸内ガスの発生を抑える効果があるとされていたのだ。


インドネシアの民衆生活の中に飴はいつごろから存在したのだろうか?これは難しい問題
だ。推測する以外に方法がない。デニス・ロンバール教授が語っているように、ヌサンタ
ラのひとびとがオランダ人のライフスタイルをまねるようになったのは19世紀半ばごろ
であり、プリブミ貴族層が植民地政庁の行政機構に入って行政統治の下部構造を支えるよ
うになって、ヌサンタラ土着民の中にやっとオランダ風の文化に染まる人間が出現するよ
うになった。そのとき飴がオランダ人のライフスタイルの中にあり、それをヌサンタラの
ひとびとが見倣った可能性は小さくない。飴には実に豊富な種類がある。しかし残念なが
らその名称が整然と区別されているわけではない。ジャワ人の世界には、砂糖を原料にす
る菓子が多様な名称で存在する。  permen, kembang gula, gulali, bonbon, manisan, 
loli, harum manis, ting-ting ...


甘い菓子の総称としてgula-gulaという言葉がある。バドゥドゥ=ゼインのKUBIによ
ればグラグラは、砂糖で作られた菓子や軽食と定義付けられている。砂糖を素材にする食
べ物は多種にわたっていて、だいたいがこの区分に入る。多分英語はconfectionary、オ
ランダ語ではbonbonがこの区分名称に対応する術語だろう。

クンバングラもKBUIの定義によれば砂糖で作られた食べ物となっている。ジャワ人は
それをンバングロmbangguloと呼んだ。その定義はグラグラとまったく同一だから、読者
はこの混乱に納得できないはずだ。一方、外国語に目を転じてみると、英語のcandyとい
う妥当な言葉が見つかる。オランダ語でそれはlollieと呼ばれる。この分析に従うなら、
クンバングラはグラグラの下位分類の一つだと言えるだろう。

インドネシア語のプルメンという言葉の由来を訪ねてみたら、それは元々クンバングラの
ひとつだったことが判った。口中を刺激して爽快感を感じさせるペパーミントキャンディ
だったのである。ペパーミントのオイル精分であるメンソールを含有するキャンディをオ
ランダ人はpeppermintと呼んだ。そのペップルミンという発音がヌサンタラの人々の耳に
プルミンと聞こえ、彼らが、中でもジャワ人がその音を再現したときプルメンになったと
いう裏話が推測されるではないか。メンソール入りの商品は食べ物や医薬品から練り歯磨
きに至るまで、昔からいろいろ作られてきた。

この新語がグラグラの世界に加わったとき、混乱が起こった。砂糖菓子が何の斟酌もなし
にプルメンと呼ばれるようになったのだ。プルメンジャヘは元より、プルメンチョクラッ
perman coklat、プルメンカレッpermen karetというように。


言葉の探求をしたところ、ヌサンタラにクンバングラが出現したのは砂糖生産の開始によ
っていたことが推測された。ヌサンタラにできた最初の砂糖製造工場は1700年代にバ
タヴィアに作られたものだ。1710年にはバタヴィア周辺に砂糖工場が131あったそ
うだ。城壁に囲まれたバタヴィア城市の南方に古めかしい製法を使う砂糖工場が続々と興
った。近代化後に蒸気タービンと機械を使うようになった砂糖の製法は昔、ふたつのシリ
ンダーを回転させてサトウキビをつぶし、絞られた汁を加熱して濃くする方法で行われて
いた。シリンダーを回転させる動力は水牛や人間の力に頼ったのである。[ 続く ]