「グラリ(1)」(2022年10月19日)

数は激減したものの、インドネシアにはいまだに飴細工師が道端で商いをしている。荷を
担いで住宅地を回り、子供の集まりそうな場所に腰を据えて飴細工作りのデモンストレー
ションを始める。興味引かれた子供たちが集まって来て、細工師の指が花や鳥や人形やら
クジラやらを巧みに作り出すのを興味津々で見つめ、自分が作ってほしいものを作っても
らい、金を払って買っていく。

実際に音の出るホイッスルさえ作る。ホイッスルは出来上がった物が実際に鳴るかどうか
を細工師がテストするから、子供たちはそんなことを気にもかけないのだが、大人は嫌が
るひとが多い。ともかく、注文されたら、テレタビーズでもバットマンでも細工師は作ら
なければならない。造形能力に優れていなければ飴細工師はそのうちに倒産するだろう。


飴細工のことをインドネシアではgulaliと言う。いやグラリは飴細工作りの技能名称とい
うよりも細工師が作った製品を指して使われる方が多いようだ。要は食べ物の名称なので
ある。現代インドネシアではグラリが綿菓子を指して使われることが増えた。昔はコット
ンキャンディの直訳語であるpermen kapasの方が一般的だったのだが。飴細工が世の中か
ら消えかかっているためにグラリは多義語にならないのかもしれない。たとえそうであっ
ても、飴細工の関係者にとってそんな言葉の使い方は多義語そのものだろう。

ところがそのコットンキャンディをharum manisあるいはarumanisと呼ぶ人たちもいる。
小型で携帯可能なアルマニス製造機が作られていて、手動で回転盤を回してその上に置か
れた金属製の皿に上がって来る糸状に溶けた砂糖を紙の円筒にからめていくと、綿のよう
になった飴が出来上がる。ところが、またところがなのである。


アルマニスが元々何であったのかについて、それは元々コットンキャンディではなかった
のだという論説もある。砂糖を糸状でなくて髪の毛状にしたものがアルマニスと呼ばれる
ものだったのであり、イタリアで最初に発明されたとされている。髪の毛状では綿のよう
にならないから、そのまま食べるしかない。

髪の毛状だからインドネシアではrambut nenekという名称も与えられた。どうしてrambut 
kakekにならなかったのか、その理由はご想像の通りだ。婆さんの髪の毛を食べるなんて、
なんて気持ちの悪いこと!?

婆さんの髪の毛という名前にされたのは、最初白色で作られていたために起こった連想だ
ろう。しかし今では真っ黒で艶々したランブッネネだって作られているのだから、婆さん
の頭を想像しなくても良いと思う。

インドネシアでは婆さんの髪の毛が連想されたようだが、1904年に米国のセントルイ
スワールドフェアーで紹介された時にはFairy Flossという名前が付けられた。どうやら
この婆さんは年老いた天女だったらしい。


インドネシアでアルマニスという言葉だとマンゴが先に連想されるだろうし、ランブッネ
ネだけだと食べ物という気がしないだろうから、両方いっしょにしてアルマニスランブッ
ネネと呼ばれることが多いようだ。この婆さん髪と呼ばれる砂糖菓子は、粉砂糖と小麦粉
そして食用色素を材料にしている。

まず小麦粉でドウを作り、そのあと粉砂糖と水でカラメルを作る。小麦粉のドウとカラメ
ル、そして色素を混ぜて均一に練り上げてからドウを伸ばしてはたたみ、伸ばしてはたた
みを繰り返していくと、練られた状態のドウが一本一本の繊維状の形態に変化していく。
髪の毛くらいの太さになれば出来上がりだ。そのくらいになれば繊維が切れるから、それ
を目安にすれば良いというアドバイスもある。しかしまあ、その重労働を思えば、これは
買ってきて食べる方が身の安全だろうという気がしないでもない。[ 続く ]