「留学史(15)」(2022年10月24日)

この新任ラアズマンは西スマトラ出身の官費留学生に手紙を出して行動を慎むように警告
し、「よくよく注意深く行動せよ。わたしはお前のことをよく知っている。」と書いた。
するとある日、その留学生から返事の手紙が届き、文末に「わたしもあなたのことをよく
知っている。あなたの西海岸での野放図な行為をわたし自身がよく知っている。」と書か
れていたのに怒りをあらわにしたそうだ。

別の私費留学生に起こった事件では、これまで東インドの父親がラアズマン宛に行った送
金をその息子は確実に受け取っていたのだが、新任ラアズマンから金が届かなくなった。
息子は当然ヴェステネンに問い合わせる。ヴェステネンは「お前には渡さない!」と怒声
を張り上げた。怒った息子はヴェステネンに言った。「今から判事にこのことを訴える。」
ヴェステネンは頭をかきながら金を渡したという話だ。

別の留学生も故郷からの手紙をラアズマン経由で受け取っていた。中の信書はすべて完璧
にそろっていた。ところが新任ラアズマンから受け取った手紙の中身が完全にそろってい
なかった。あるときその留学生がヴェステネンをそのことで非難すると、「あの手紙はわ
ざと開けたんじゃない」という返事が返ってきた。

その時代、東インドでは郵便物の検閲や没収が当たり前のように行われていたが、オラン
ダ本国では人権擁護のためにそれが無くなっていたはずだ。たとえば、インドネシア協会
機関紙「インドネシアムルデカ」はオランダで発行され配布されて何の不都合も起こらな
かった。しかし、東インドに送られたものは東インドの郵便局で全数が没収された。オラ
ンダの国内でならそれは大手を振って存在でき、持っていようが何をしようが自由である
物品だから郵便局から東インドへ発送するのも何の問題にもならないというのに、東イン
ドへそれが届けば存在自体が否定され、禁止されたということだ。

ラアズマンの植民地主義的で横暴なふるまいをナショナリスト留学生たちは憎んだ。ラア
ズマンの管掌領域は官費留学生と私費ながら植民地政庁経由で後見を依頼された学生だけ
のはずだ。ところが政庁と完璧に没交渉でやってきた留学生にまで管理統制対象が広げら
れたのだから。ヴェステネンを憎まなかったのは、その牙と爪の対象外に置かれていたノ
ンポリ留学生だけだった。


オランダの植民地政策は人種政策だったとアブドゥル・リファイは書いている。モリスコ
教授は行政学アカデミーで生徒たちに、植民地政策とは人種政策であり、植民地の人民統
治は統治者と被統治者が異なる人間であることを基盤に置いて行われなければならないと
教えた。ユトレヒトで教授になっている医学高等教育終了者でドクターの肩書を持つ人物
はかつて、インランダーの脳の構造はヨーロッパ人と異なっており、それはサルの脳に近
いと公然と語っていた。

植民地政策における被統治者の異質さを際立たせるためにインランダーの短所が指折り数
え上げられて、何千万人もいるひとつの民族集団がひとりの個人のように見なされた。つ
まり何千万分の一でしかない一個人であっても、東インドのインランダーという属性を持
っているかぎり、民族の個性とされているものがその個人に適用されたのである。この全
体主義的発想が今日現在に至るまで人類の間にいまだに生き残っている事実にわれわれは
もっと恐怖を抱いても良いのではあるまいか。

個人の本性を見ないで集団のシンボルを各個人に投影するその全体主義的発想はもちろん
頭の中で、観念の中でしか行いえないことであり、現実の中で泳いでいる者にはそんなこ
とができない。そんなことをすれば現実の中でつまづき、沈んでしまうに決まっているか
らだ。現実の中でひとりの個人と相対したとき、個人の本性を見きわめようとしなかった
ために痛い目にあった経験者はゴマンといるはずだ。

ところが、その観念世界の中で生きることに危惧を抱かない人間があまりにもたくさんい
る。かれらはもはや目も耳も、果ては心まで閉ざして現実を見ることをやめ、脳の中にあ
る妄想に浸って空中を浮遊し続けるのである。そのありさまは人間をやめた者を思わせる。
空中浮遊はいつか必ず墜落するのが人間の宿命であることを忘れてはなるまい。現実世界
の中で足を地に付けて生きようとする者は、空中浮遊などに関わり合ってはいられないは
ずだ。[ 続く ]