「グラリ(終)」(2022年10月24日)

クレンテン2ホーロ印のティンティン生産者はサラティガのこの特産品の老舗だそうだ。
現在の当主ユスフ・クルニアジャヤさんは創業者クー・チョンホッ氏の孫にあたる。中国
の福建省からジャワに妻を伴って移住してきたクー・チョンホッはサラティガの中華寺院
福徳廟の用務員になり、1920年代にティンティン作りを始めた。Hok Tek Bio寺院の
中でティンティンを作っていたから、ひとびとは寺院に関わるティンティンと思ったそう
だが、何のことはない、用務員が余暇に作っているだけのことだった。

できたティンティンはトウモロコシの皮で包み、それをかれの妻が近隣の村々に売りに回
った。ふたりの間にできた子供は6人で、そのうちの5人がサラティガでティンティン作
りを受け継いだ。そのひとりがユスフさんの父親クー・ポーリオンだ。インドネシア名を
グナルソという。ユスフさんもクー・ユーチャイという中華名を持っている。


ユスフさんの祖父が始めたティンティン製造プロセスは、砂糖で緩いカラメルを作り、皮
をむいて炒ったピーナツにカラメルをからませる。それを厚さ15センチの石の台に置い
て重さ3〜4キロのサウォの棍棒でつぶすのである。その潰し方にコツがある。弱く打つ
と破砕されない。強すぎると粉砕されるのはいいがピーナツの油が出て腐りやすくなり、
悪臭が発生して日持ちしない。効率を求めてブレンダーでピーナツを破砕してみたが、油
が出るので実用にいたらなかった。ピーナツの油を出さないようにして作られた製品は、
日光に直接当てないで冷暗所に保存するかぎり、半年間は日持ちするそうだ。

ユスフさんはピーナツを破砕するための棍棒の最適な使い方を熟知している。小学5年生
のころから父親の手伝いをして体得したのだ。かれ自身は大学の英文学部を卒業して教師
になることを考えていたが、結局家業を継いだ。25人いる従業員に職を確保してやるこ
との意義は比べ物にならないという結論をかれは出したのである。

ピーナツ破砕プロセスは最低6ヵ月の指導と訓練を受けなければ一人前になれない。破砕
しつつ破片がそれぞれぴったりとカラメルで隙間なくつなぎ合わされるようにしなければ
ならないのだ。そのようにしてまとまったものを三角柱のプリズム型に成形し、それを小
さく切って包装する。

従業員たちはじっくりと月日を重ねてティンティン作りプロセスに最適な技術を体得して
いく。それはその仕事を愛することにつながり、自分が作り出した製品への愛情を育む結
果をもたらす。それを通じて人間の成熟が起こるのだとユスフさんは語っている。[ 完 ]