「さとうきび汁(前)」(2022年10月25日)

ライター: ジャーナリスト、アンドレアス・マルヨト
ソース: 2010年11月8日付けコンパス紙 "Air Tebu, Sejarah Minuman Jalanan" 

ミネラルウォーター、ソフトドリンク、茶、レモネード・・・・。路傍でさまざまな飲み
物が売られている。そのそれぞれに歴史がある。それらよりもはるかに長い歴史を持つ飲
み物があった。それはサトウキビの搾り汁だ。インドネシアらしい飲み物と言い得るので
はあるまいか。

このサトウキビ汁を売っている人間の統計数値があるわけではないが、その大部分がメダ
ンに集まっているのではないかという印象をわたしは感じている。メダンの町中では、ど
この片隅へ行こうがサトウキビ汁を売っている人間がいる。どうしてこんなことになって
いるのだろうか?

メダン市民のひとりは、サトウキビ汁が売られ始めたのは1970年代ごろからで、最初
はオートバイで巡回販売するスタイルから始まった、と昔話を語ってくれた。最初は小規
模な民衆ビジネスから始まったものが徐々に系列化されて構造変革が起こったようだ。今
ではモールにまで販売キオスがある。

スマトラ島北部のニアス・バンダアチェ・カロ・タパヌリなどではサトウキビ汁の歴史を
比較的容易に探ることができる。もちろん発端を知ることなどできるものではないのだが、
それでも歴史の足跡がところどころに残っているのを見出すことはできる。

サトウキビはジャワ島にいっぱい生えている。ところがサトウキビの汁を搾る原始的な道
具を探しても見つからないのだ。一方、スマトラ島北部にはサトウキビに関する昔の話が
いろいろと見つかる。北スマトラ州ニアス諸島のニアス人が古代から使っていたサトウキ
ビを搾る原始的な道具がある。その道具はヤシの果肉を搾るためにも使われていて、フォ
ラヅィドウというのがニアス語の名称だ。

フォラヅィドウは高さが120センチもあり、サトウキビをはさんで搾る部分が木ででき
ている。この道具にはしばしば女性の像が彫られている。ニアス博物館の説明によれば、
搾られたサトウキビやヤシから得られる液体が母乳のように無尽蔵に得られますようにと
の願いを込めてニアス人が女性の像をこの道具に彫り込むのだそうだ。

道具の真ん中に穴があり、そこに搾り木がひっかけられる。そこから溝を通って搾られた
汁が下に落ちるから、容器を置いてその汁を受けるのである。この作業が行われるとき、
道具は家の一角に縛り付けられる。

ニアス文化を調査した考古学者によれば、道具に男性器や女性器の彫像があればそれは生
を象徴するものなのだそうだ。「乳房だけが彫られていれば、それは豊穣のシンボルだ。
道具が女性の姿に彫られていて、サトウキビを搾る軸板にペニスが彫られているものもあ
った。」ガジャマダ大学考古学者はそう語った。

< 無装飾 >
南ニアス県ゴモ郡住民の中に、フォラヅィドウを今でも使っているひとびとがいる。一般
庶民の家で使われているものは彫像のない、プレーンなものが普通だ。彫像のあるものは
たいてい貴族の家で使われている。

ニアス人の世界では、あらゆる畑の片隅にサトウキビが植えられている。畑で仕事をして
いるとき、疲れて力がなくなってしまうとかれらはサトウキビを取って汁を吸う。かれら
が家から飲み物を持って仕事に行かないことと、それは関係を持っているようだ。サトウ
キビの方がエネルギー補給に適しているのは間違いあるまい。

ニアス人はムラユ種族の初期移住者であるという仮説を前提に置くなら、ニアス人が使っ
ているサトウキビ搾り道具は先史時代から使われていた可能性が推測できる。


19世紀終わりごろにサトウキビ搾り汁が商品として売買されていたことをわれわれは、
スヌーク・フルフロニェが著したDe Atjehersの第一巻(1893年)第二巻(1894
年)から知ることができる。

その時代にアチェ人はきわめて原始的な道具を使ってサトウキビの幹を搾り、その汁を飲
んでいたことが記されているのだ。その道具をフルフロニェは描写しなかったが、砂糖工
場で水牛や牛に引かせていた搾り機のようなものではなかったように推測される。
[ 続く ]