「さとうきび汁(後)」(2022年10月26日)

市場へ行くアチェ人はサトウキビを噛んだりたいへん原始的な道具で搾った汁を飲んだり
するのを好んだとフルフロニェは書いている。その習慣がアチェ人の決まり文句「サトウ
キビ汁銭」ngon bloe ie teubeeという表現を生んだのではないかとかれは推測した。ひ
とが子供に用を言いつけたときや、使用人あるいは部下などにチップを渡すときにその言
葉が使われた。たとえば誰かが送った手紙や贈り物を届けに来た送り主の使用人に、その
足労の礼として心付けを与えるときに「これでサトウキビ汁でも買いなさい。」と言うの
である。

アチェではそればかりか、パーティや催事に集まってきたひとびとにサトウキビの幹の切
れ端が分配された。遠方から来たひとや旅人にサトウキビの切れ端がふるまわれると、も
らった者は爽やかな慰めをそこに感じた。

アチェでサトウキビはもちろんサトウキビ畑で作られるものもあったが、多くのひとびと
はコメを作る合間にサトウキビを植えた。サトウキビ畑はその用途を専用にしているのだ
から、じっくりとサトウキビを成長させることができる。しかし陸稲の畑では、コメの収
穫が終わってから次の作付けの間までの四ヵ月しかサトウキビを成育させることができな
い。コメの作付期がやってきたら、いやおうなしにサトウキビを刈らなければならないの
である。

< トババタッ人 >
トババタッ人にはたいへんユニークなサトウキビの話がある。サトウキビを一二本新居の
庭に植えるよう、子供の結婚式のおりに親が子供に命じるのだ。menanom tobu asa manis 
parngoluonmu. その汁でふたりの人生を甘いものにせよということなのだろう。トババタ
ッ人もサトウキビを好む。在来パサルでは今でもサトウキビが束で売られている。

サトウキビの汁が売買される商品になった経緯ははっきりしたことが分からない。しかし
人間が鉄器を使うようになったとき、サトウキビ汁の社会性に新しい局面が開かれたこと
は想像に余りある。サトウキビの幹を搾る道具を動かせば汁は下に落ち、受けた椀からす
ぐに飲むことができる。


だが、サトウキビがたくさん生えている地方部ならともかく、都市部でサトウキビ汁を販
売する行為にはきっかけが必要ではないだろうか。1980年代になると、メダンの町中
のいたるところにサトウキビ汁販売者が腰を据えていた。ところがある期間を経てそれが
徐々に下火になり、町中から減って行った。そして今、様相をあらたにして復活してきた
のである。

その変遷の裏話を物語ってくれる者はいない。いま町中に見られるのは、数種類のブラン
ドを掲げたチェーン店の姿だ。町中のあちこちにあるモールにさえ出店している。

インターネットにはサトウキビ搾り機の商品広告がたくさん見られる。オファーされてい
る搾り機は電気式のものだ。きっと最新製品なのだろう。


サトウキビ汁はどうして飽きられもせずに長い歴史を超えてきたのだろうか?他のパック
入り飲料がモダンで衛生的な印象を与えているのに反して、サトウキビ汁は衛生感もモダ
ンさもいまひとつだ。

喉の渇きを癒そうとしてサトウキビ汁を飲むのはかえって逆効果だ、と食品学教授は述べ
た。「含有糖分の量が大きいから、体内の水分が減少する。北スマトラのひとびとがサト
ウキビ汁を好んで飲んでいるのが不思議でしかたがない。甘味が習慣性をもたらしている
のではあるまいか。」

サトウキビの甘味は、サトウキビをかじっていた時代からかれらの肉体感覚にセンセーシ
ョンをもたらしていたかもしれない。それが長い歴史の中で習慣化された可能性は大いに
ありそうだ。今ではサトウキビの幹をかじる必要性もなくなった。サトウキビ汁という飲
み物の形で供されているのだから、それを買えばいいのである。

サトウキビ汁が飽きられて歴史の中に忘れ去られる日はやってきそうにない。それどころ
か、イノベーションによってこのビジネスがまた新たな繁栄の局面を迎えることだって、
ありえないことではないのだ。[ 完 ]