「留学史(20)」(2022年10月31日)

リファイがその留学生に返事の手紙を郵送したところ、しばらくして宛先人不明で返送さ
れてきた。かれはオランダの友人にこの件の調査を依頼した。その友人から届いた調査結
果報告によれば、その留学生は下宿を追い出されたのだそうだ。下宿のオーナーは留学生
が部屋代を滞納したのでオランダ人に相談し、そのオランダ人は「追い出せばいい」とア
ドバイスしたのでそれに従ったという話だった。アドバイスしたオランダ人がだれだった
のかは容易に想像できる。

その留学生はどこへ行ったのか?他の留学生たちの話によれば、かれはドイツにいる留学
生に招かれて、その下宿に転がり込んだ。レイデンでの学業は立ち消えになった。


ラアズマンとインドネシア留学生間のコンフリクトが国家問題にまで発展したために、国
会が問題の抜本解決に乗り出した。オランダのコミュニスト層を代表する人物がインドネ
シア人留学生の中に共産党員はいないと国会で述べたのだから、政府がしていることや報
道界がはやし立てていることに誰もが首をかしげて当然だ。そしてインドネシア協会リー
ダーたちの逮捕でも、政府の口からコミュニストという言葉は出てこなかった。コミュニ
ストの焼きごてを留学生に当てて騒ぎ立てているのは一部の報道界だけだったのだ。

植民地大臣や法務大臣が国会喚問されて突き上げられ、これまで何が起こっていたのかと
いうことについての全貌がおぼろげながら見えてきた。逮捕拘留されている四人の留学生
の罪状がコミュニスト容疑でないことは、ほぼ明らかになった。しかし検察が作る起訴状
が出来上がるまで、大臣たちも明白に断言するのを避けた。たとえそうであっても、遅か
れ早かれヴェステネンがラアズマンの職からお払い箱になることだけは間違いなかったよ
うだ。


拘留されている四人の留学生に対する取り調べは緩慢に行われた。結果的に四人はおよそ
半年間拘置所で日を重ね、その間、学業も留学生としての活動も停止した。バタヴィアで
税務局長を務めた東インド経験者オランダ人フレミング氏がその状況を見るに見かねて、
その四人のための募金をオランダの民衆に呼びかけた。四人が拘禁を解かれて社会復帰す
るとき、十分な資金がなしには済まないだろう。学業を再開するためにも、あるいは東イ
ンドに帰国するためにも、資金が必要だ。フレミングの努力でオランダの民衆からほぼ
1,900フローリンの浄財が集まった。アリとかれの妻が帰国するための船賃1,50
0フローリンはそれでまかなうことができる。

更に新聞ヘッフォーク編集部に863フローリン、そして街頭で行われた留学生支援のた
めの署名と募金運動で5千人の署名と3百超フローリンの募金が得られた。オランダの民
衆が四人に向けた同情は総額3千フローリンを超える浄財となって結実したのだ。

オランダ人植民地主義者が依然として強い勢力になっているオランダに留学して東インド
であまり役に立たない免状を持ち帰るよりも、もっと効率的な留学と人生設計をしてはど
うか、とアブドゥル・リファイはビンタンティムール紙に書いた。ドイツへの留学の勧め
がそれだ。

東インドでオランダ植民地政庁に奉職する考えを持たない青年は、ドイツへ行って技術を
身に着けるほうがよい。ドイツは生活費もそれほど高くない。部屋代はひと月70マルク
(38フローリン)程度で、お湯の出る浴室が付いている。ベルリンには中華レストラン
がふたつあり、いつでもコメの飯を食べることができる。昼食・夕食は5マルク出せば十
分腹を満たせる。ベルリンにいる留学生の話では、部屋代はひと月60マルク、旅行に出
て部屋をほとんど使わない月は部屋代が30マルクになるそうだ。部屋代には水道光熱費
が含まれている。東インドからの留学生はパリなどに住むよりもベルリンの方がはるかに
よい。ひと月の生活費支出は140マルク(70フローリン)で済むのだ。一部屋を数人
の仲間でシェアすれば、ひとり当たりの負担はもっと小さくなる。[ 続く ]