「甘くて苦いジャワ砂糖(4)」(2022年11月01日)

最終的にアンバラワ〜ヨグヤカルタ〜ソロとスマランを結ぶのであれば、スマランからま
っすぐ南下してウガランを通過するほうが距離ははるかに短かそうだ。ただしそこは山岳
地帯になっているため地形の高低差が大きく、平坦なグロボガン方面に向かうほうが線路
敷設も列車運行も楽だったことは容易に想像が付く。

その技術的な要因に加えてもうひとつ、NISのオーナーだったオランダ人農園事業者の
思惑が鉄路をグロボガン方面に向かわせたのではないかという勘繰りがわたしの中から消
えないのだ。


グロボガンという地名は、強制栽培制度のために農民の食糧不足が住民の栄養不良〜病死
・餓死を引き起こして、住民人口の大幅減を招いた地域として有名だ。悪辣非道な強制栽
培制度を糾弾するシンボルとしてその名が登場するのである。

住民人口大幅低下は1843年にチルボンで起こり、1849年ドゥマッ、1850年グ
ロボガンと続いた。ドゥマッは33.6万人から12万人へと三分の一程度に減ったのだ
が、グロボガンは8.95万人から0.9万人に減少したのだ。グロボガンがいかに激し
い災厄に見舞われたかがその数字から想像できる。グロボガンの地名が強制栽培制度の非
を打ち鳴らすための証拠としてシンボライズされたのも当然ではあるまいか。

結局のところ、それらの現象は搾取の激しさがそれらの地域ですさまじかったことを示し
ているように感じられ、激しい搾取を可能にする豊かさがそこにあったことが誘因になっ
たのではないかとわたしには思われるのである。ドゥマッ〜グロボガンから南部にかけて
の地域の豊かさが栽培制度の運用を非人間的なものに導いた。そこで展開された営みがフ
ァン・デン・ボシュの掲げた看板を骨抜きにしてしまい、看板にある栽培制度という文句
が強制栽培制度に書き変えられてしまうほどのありさまがそこで展開されたのではないか
というのがわたしの想像だ。

もしも制度がロボットのように運営されていたなら、どうしてある地域でだけ人口激減が
起こったのか?他の場所で苦情はさまざまにあったことだろうが、人口が1割まで減る現
象から免れたのはどうしてなのか?その制度を忠実に運営すれば人口が1割になるのであ
れば、多少のばらつきはあってもジャワ島やスマトラ島のあちこちで人口が半分以下にな
って当然なのではないのだろうか?一部の限られた地域でのみそれが起こったのであれば、
それは制度の問題なのか、それともその地域を担当した運営者の問題なのか?

それから一昔半経過して、オランダ人農園事業者ふたりがその地方に鉄道を引き込むこと
を実現させようと考えたのなら、産業輸送のための鉄道構想が主眼となる方が自然ではな
いだろうか。インドネシアの鉄道の発端が強制栽培制度にあるという言い方が多少難を含
んでいるにせよ、その流れの根底にあったものはジャワ島片田舎の物産を国際市場に担ぎ
出すことであり、インドネシアの鉄道はその流れの下から浮かび上がってきたものだった
のではないだろうかというのがわたしの感想である。


強制栽培制度がもたらした植民地の疲弊への対策としてオランダ本国議会が自由主義経済
を提唱した。民間資本への開放政策である。こうして農地法と砂糖法が制定されて、18
70年に適用が開始された。

民間資本に門戸を開いた東インド、とりわけジャワ島にオランダ国内ばかりかヨーロッパ
諸国から民間資本が滔々と流れ込んできた。事業投資先として農園事業の中でも製糖事業
の人気が高く、サトウキビ農園と製糖工場のセットがジャワ島の各地に瞬く間に増加した。
19世紀末までのおよそ30年間に、ジャワ島は世界最大の砂糖生産地及び輸出地として
キューバと並び称されるようになっていった。[ 続く ]