「留学史(22)」(2022年11月02日)

行政官僚になってヒエラルキーの底辺から年数に従って上に引き上げてもらうようなとこ
ろにその精神は湧き上がってこないだろう。言われたことだけをして給料をもらい、それ
で家族を養って人生を過ごしていくようなあり方の中からリーダーが誕生することはあま
り期待できないのだ。その点に関するかぎり、青年の覇気はたとえ未熟ではあってもリー
ダー誕生にとってかけがえのない駆動力になる。

覇気を持つ青年であるなら、政府や大会社に雇われて毎月生活に困らないだけの給料をも
らい、かれらを富ませるためのコマのひとつになって命令を実行する人生を送るよりも、
その場所がどこであれわが同胞を統率してみんなのより良い暮らしを実現させるために一
生を送る方が、はるかに大きな生きがいを抱くことができるのではあるまいか。

そのような人物こそ、同胞から見上げられるばかりでなく、東インドにいるヨーロッパ人
からも一目置かれて、蔑まれ見下されるインランダーのひとりとしてでなく、わたしの仕
事仲間だという評価を受けて対等に扱われる人間になりうる可能性を持っているのだ。


ビンタンティムール紙はさらに続けて、留学先をヨーロッパだけに限定しなくても良いと
説いた。ヨーロッパよりもっと近い日本という国がある。技能習得の面から、帽子や人形
などの玩具の作製技能を学んできて事業を興すことだってできる。日本から輸入されてわ
れわれの台所に入っている氷砂糖や、あるいは子供たちが買って食べている砂糖菓子を作
っても良い。

ジャワの農園で作られた砂糖がスマランから横浜に送られ、日本の中でぐるぐる回った末
に東インドにそれらの砂糖製品になって戻ってきているのを知ったら、それに金を払って
買っているインランダーも目を回すことだろう。その金はカリブサールの横浜正金銀行に
集まってから長崎に送られている。

あるいはアメリカに目を向けるのもよい。アメリカに留学してアメリカ暮らしを体験する
のも、新しい人間の生き方に触れるひとつのチャンスだ。ドルが持っている意味、電気が
作るライフスタイル、人間の手足がいかに迅速に動くものであるか、アメリカニズムとは
何なのか。高貴な人間がふんぞり返り卑しい者が右往左往している世界はそこにない。

そこにしばらく身を浸して、働くということの意味に目を開いてから東インドに戻ってく
れば、働くことの意義を生きることの中に統合した新しいインドネシア人が誕生する。

自動車王フォードは工学高等学校で禿げ頭の教授たちから学問を教わってインシニュール
の肩書をもらった人間ではない。高等教育を受けて修業証書をもらい、世の中に胸を張っ
て自分の存在を誇示するような社会構造はアメリカという国の中であまり感じられない。


捜査のためという理由で長期間拘留されていたインドネシア協会の四人の留学生は、拘留
期間が長すぎるという国会の苦言を受け入れた政府が、起訴内容がほぼ確定したという理
由で1928年3月初旬に拘留を解いた。

起訴内容は報道犯罪になっていた。インドネシア協会機関紙インドネシアムルデカ5月号
の中の記事が一般大衆に向けられた武装叛乱の扇動であるというのが法律に違反する罪状
であり、その罪が3月8日から始まる裁判で裁かれて処罰を受けることになった。あれほ
ど国中を大騒ぎさせて盛り上がったコミュニストへの鉄槌は上げた手の振り下ろしようが
なく、どこかにしぼんでしまったようだ。

しかし法務省側はこの機会をとらえて見せしめのために、コミュニズムに染まった者たち
が計画した叛乱と印刷物を使った使嗾に対して厳罰を与えようと構えており、3月8日の
公判で主犯のハッタが入獄3年、他の者は2年半と2年が求刑された。そこにも、植民地
主義が顔をのぞかせているのである。オランダの新聞の中には、終身刑にしてしまえ、と
書いたヘイト記事を載せたものもある。オランダではもう死刑が廃止されていたのだ。
[ 続く ]