「留学史(27)」(2022年11月09日)

モダンな軍備を整えただけでは強国と認めてもらえない。整えた軍備を実際に使って戦争
に勝たなければ、強国というステータスが実証されたことにならないのだ。強力な軍備を
持てば他国からの侵略抑止になるというような考えは素朴すぎるのではあるまいか。武器
兵器だけが勝手に戦争するわけではないのだから。人間がそのハードを使いこなして敵を
殲滅するだけの頭脳と体力を持っているかどうか、それを示さなければ強力な武器兵器も
張子の虎にしか見えないかもしれない。

他国から侵略されないためには、相手はどこでもいいからだれかと戦争して勝てることを
実証しなければならない。これは、軍隊を持ったから将軍が戦争をしたがるというおとぎ
話とは次元の異なる問題だ。軍備を整え、その軍備が実際の戦争の中で有効に使われたと
き、その国が軍備を駆使できる能力を持っていることが実証される。そして優れた戦略と
戦術で敵を一蹴する姿を世界に示せば、その国は強国と認められて、侵略しようとする他
国の出現をミニマイズできる。だれかと戦争して勝てることを示すためには、だれかが言
いがかりをつけてくれば受けて立つ機会が得られるのだが、もしだれもそれをしてこない
なら、こちらから仕掛けるしかあるまい。

このロジックを簡単に言うと、「自国防衛は他国と戦争して勝つことである。」「他国侵
略は最善の自国防衛である。」というどこかで聞いたようなパラドックスになるかもしれ
ない。

強国の象徴は戦争の中にだけあるのではない。パワー闘争における実力がたいへん重要な
ひとコマであるのは間違いないにせよ、明白な実績を大規模な会戦によって示す機会が得
られないとき、近隣諸国に覇権をとなえている姿を世界に示すならば地政学的な見地から
十分に効果的であると認められていたように思われる。強国としてのステータス獲得に際
して極東の帝国はあらゆる項目を実行した。朝鮮半島、台湾島、中国大陸がそこに巻き込
まれることになったのは歴史の必然性のなせるわざではなかっただろうか。

強国主義・自国防衛・近隣諸国侵略がからまりあって歴史を紡ぎ出していたのがあの時代
の帝国の姿だったのではあるまいか。その三つ巴があの現象を起こしたのであって、その
ひとつだけを取り出してどうこう言うようなものではなかったように、わたしには思われ
るのである。


蘭領東インドのプリブミにとって、白人の支配下に置かれている自分たちの現状とアジア
東端の日出ずる国の勃興の対照は、白人支配終焉への希望を抱かせるに十分なものだった。
中でも1905年の日露戦争における日本の勝利が対白人劣等感のとりこになっているほ
とんどのアジア民族に覚醒のいぶきをもたらすものになった。

19世紀後半の50年もかからないうちに、日本はアジアの先頭を切る重工業国になり、
そしてヨーロッパの列強と肩を並べる軍事強国になったのだ。「東方に倣え」というスロ
ーガンは出なかったものの、似たような意識は20世紀初期にアジア地域一帯に立ち昇っ
ていた。アジアの知識人が口をそろえて、白人支配下にある自分たちの現状にアジアの強
国が変化をもたらすことを予言し、また期待した。

日露戦争における日本の勝利は全アジアを揺さぶったのだ。1945年のインドネシア独
立宣言に関わった民族主義青年たちが書き残したメモワールには、かれらが少年期に耳に
し、日本軍がやってくるまでかれらの心中に希望の星として輝いていたものがそれだった
ことが記されている。ある人物の手記には、バンドンのキリスト教HISで5年生のとき
にオランダ人の歴史の先生エルシェ・ボスデイク嬢が「皆さん、日本は小国です、しかし
強い。」と授業中に語った思い出話が述べられている。[ 続く ]