「甘くて苦いジャワ砂糖(16)」(2022年11月17日)

オルバ政権が輸入を認めたとは言っても、決して自由放任にしたわけではない。砂糖は統
制品目のひとつとして生産流通販売が厳しく監視された。国内需要量と国内生産量のギャ
ップを埋めるためにその差が年間クオータと定められ、クオータ分の輸入を政府に登録し
た輸入者だけに許すという制度が設けられた。だがクオータは市場状況によって伸び縮み
する。市場で品薄が起こり価格上昇が起これば、クオータが瞬間的に増やされることは十
分に起こり得る。腐敗行為を可能にする場がそこに設けられていると言えるだろう。

オルバ政権でも優秀な経済閣僚が民間主体の自由経済を基本に据えながら国家経済開発を
進めた。特に製糖産業については、かつて黄金時代を築いたインフラとしての工場群が存
在し、そこに関わる人間の雇用問題、ほとんどが国有になっている製糖工場の健全経営、
国として追及するべき産業構造と現状の効率のギャップなどの諸問題をバランスよく押さ
えながら効果を出していくことが閣僚たちに期待されるテーマになった。

検討の結果たどり着いた大方針は、ジャワ島にある製糖工場が持っている生産能力とサト
ウキビ生産量のアンバランスに対する調和を図ること、ジャワ島外での生産を増やすこと
であり、ジャワでのサトウキビの増産にまったく期待が持てないことから既存製糖インフ
ラの縮小は避けて通れない道になった。


1987年の全国砂糖生産量は209万トン、1992年234万トン、1994年24
6万トンと国内需要の250万トンに近付いたものの、1999年に149万トンにダウ
ンして200万トンを割り込んでから2004年にやっと205万トンに回復するまで大
幅な砂糖生産の低下が起こった。

2005年の全国生産は224万トンだった。全国の57製糖工場が持っている生産能力
は300万トン、精糖工場の生産能力は130万トンあるというのに、生産実績はその半
分でしかなかったのだ。理由はさまざまにあっただろうが、その最大の理由として原材料
が生産能力のフル活用を満たせられなかったことを挙げてもよいだろう。一方、国内需要
は家庭消費250万トン、飲食品業界需要70万トンの合計320万トンにのぼっていた
のである。


国内生産の低下に合わせて輸入量も激増し、1999年の輸入は100万トンを超えた。
その輸入量は正しく通関が行われたものの合計であり、不正に輸入されたものの量など分
かるわけがないのだから、そこに含まれなかったのは当たり前だ。

植民地時代の砂糖生産はサトウキビ栽培面積1Ha当たり15トンに達した。現代インドネ
シアでは4.5トンに低下している。ジャワ島のサトウキビ農民は一人当たり平均作付面
積が0.3Haしかない。工場での生産アウトプットの効率も、そしてレンデメンまで低い
のだから、ジャワ砂糖がハイコストになるのは理の当然にちがいあるまい。

国産品の生産コストが高いために国内の砂糖市価は高いものになっており、諸外国から見
ればインドネシアは輸入バリアーさえ突破すればきわめておいしい市場になる。インドネ
シアのビジネスマンがそれを利用しようとしないはずがないだろう。中でも業界関係者が
その熟して落ちんばかりの実を手に入れようとして昔から動いてきたのだ。

精糖工場が粗糖を輸入したことにして精糖を輸入し、そのまま国内に流す。保税再輸出加
工のライセンスを手に入れた者が精糖工場を設立し、粗糖を輸入したことにして精糖を輸
入した上、無加工のまま理由を付けて国内に流した。摘発されたその精糖工場には精糖の
ための機械設備など一切なく、砂糖ドウを作るための器具道具類だけがあったそうだ。イ
ンドネシアに入ってきたそれらの砂糖が税関の報告する砂糖輸入実績数値の中に含められ
たとは思えない。[ 続く ]