「グラメラ(10)」(2022年12月02日)

アミンさん30歳は近在のヤシ林から採ってきた竹筒入りのニラを小さい竹筒に移し替え
て濾している。きれいになったニラは大鍋で熱せられる。ヤシの木はかれのものではない。
持ち主が別にいるのだ。ヤシの木の持ち主は二日に一度、アミンが持ってきたニラを無料
で手に入れてグラメラを作る。

アミンも二日に一度、自分が身体を張って登ったヤシの木から得られたニラを自宅の台所
でグラメラにする。アミンは一度、高さ15メートルのヤシの木から落ちたことがある。
ニラクラパ採集者の多くは、転落した体験を持っている。その結果世を去った者も決して
少なくない。かれらはその岐路に立っている神の姿を感じるのだと言う。

アミンは毎日朝と夕方、25本のヤシの木に登る。一日に得られるニラの量は45リッタ
ーに達する。そこからおよそ15キロのグラスムッが生産される。月産225キロを集荷
人に売り渡して、アミン夫妻は270万ルピアの月収を得ている。

奥さんは昔、ブカシに上京して家庭プンバントゥの仕事をしたことがある。もちろん都市
部へ出れば、収入額はもっと大きい数字になる。ところが都市部での生活は物価がすべて
高いから、収入金額から感じられる実質的な生活の豊かさはお粗末なものだ。バニュマス
での270万ルピアはたいそうな値打ちがある、と奥さんは語っている。


別のニラ採集者サマウィさん53歳も行政の指導に従ってだいぶ前からグラスムッ生産を
はじめた。炉や鍋や、その他の必要な品質と数の器具をそろえるのに2百万ルピアを出費
した。ところがその初期投資は6ヵ月で全額回収された。

サマウィは1970年代から成形グラメラを作ってケチャップマニス生産者に納めていた
が、グラスムッ生産に乗り出して以来、経済活動の規模が大きく上昇した。今やかれは2
Haのヤシ農園を持ち、毎月1千5百万ルピアの所得を挙げている。邸宅を建て、自動車を
持ち、子供たちを大学卒にした。


パームシュガーと呼ばれているものの代表格がアレンのニラから作られたグラメラだ。
Arenga pinnataはインドからフィリピンまでの熱帯アジアに広く分布しており、どこにで
も自生する。インドネシアではarenもしくはenauと呼ばれていて、昔からココナツヤシに
次ぐ多用途に使われ、民衆生活を支える天然の恵みのひとつとして存在してきた。

葉はタバコを巻くのに使われ、葉脈はsapu lidiと呼ばれるほうきにされ、あるいはサテ
の棒になる。そして木の幹からはサゴのようなでんぷん質が得られ、それを粉にしたもの
はsagu arenと呼ばれている。

たいていの在来パサルで売られている、kolang-kalingと呼ばれる甘いシロップ漬けの実
はこの木の実であり、この実が熟すとジャコウネコや他の動物類が好んで食べにくる。バ
ンカ島では実が熟す季節になると、地面に落ちた実をイノシシの一家が食べにやってくる
ので、在住華人がイノシシを捉えるための罠をしかけて待ち受けるという話だ。


イギリス人アルフレッド・ラッセル・ウオレスは150年前にスラウェシ島を訪れた時に
原住民がアレンの木から砂糖を作っていることを知り、かれの大旅行記である著書マレー
アーキペラゴに書き残した。イラストまで添えてあり、原住民の父子がアレンの巨木の下
にたたずんで、これからニラ採取のために木に登るような風情で描かれている。ウオレス
は次のようなことを書いた。

たくさん生えているアレンヤシからはニラが得られ、ニラで作られる砂糖はちょっとした
甘いおやつとして最適なものだ。またニラを発酵させてトゥアッを作り、みんなビール代
わりに飲んでいる。

おやっ?トゥアッは非ムスリムであるバタッ人の専売特許ではなかったか?そう思ってい
た読者はその偏見を正さなければならないだろう。これが歴史の奥行というものなのだか
ら。[ 続く ]