「留学史(終)」(2022年12月14日)

広島と長崎に原爆が投下され、8月15日に天皇陛下のラヂオ放送があるということで士
官学校生徒は全員盛装して校庭に整列した。天皇が語った言葉を理解できた留学生はひと
りもいなかったらしい。それでも、これで戦争が終わったということだけはみんなに分か
った。戦争が終われば祖国に帰れる。そんな思いで留学生たちは概して喜びを抑えながら
安堵した顔つきをしていた。しかしスパルトの心中は違っていた。かれは寮の部屋に戻っ
てひとりで泣いた。仲間の中に、スパルトだけが違う雰囲気でいるのを不思議に思って尋
ねた者がいた。「戦争は終わったんだ。なぜ泣いてるんだ?」

「日本が戦争に敗れたということは、オランダがまたインドネシアに戻って来ることを意
味している。王家は対日協力者としてやり玉にあげられるかもしれない。」
インドネシアにこのまま平和が復活するなどとは、スパルトは露ほども考えていなかった
のだろう。そしてインドネシア共和国が独立宣言を果たし、王家の王子の立場はますます
微妙なものにになっていった。

日本では、戦争が終わったとたん、学生たちは忙しくなった。日本軍は解散した。士官学
校の施設はやってくる米国進駐軍のために早急に明け渡さなければならない。寮生は国際
学友会の寮に戻るよう指示され、自分の荷物を持って相武台を去った。一方、戦争が終わ
らなかった者たちは、何とか生き残った4百機のゼロ戦を駆って最期の出撃を行った。留
学生たちは、自分の戦争を終わらせるために出撃していく日本の若者たちを見送った。


日本での戦後の生活は悲惨なものだった。だれもが生きることに必死だった。ついこの前
まで美しき死を賛美していたひとびとが手のひらを返して生きようとしていた。各所に備
蓄品を貯えてあった食糧倉庫が開かれて、だれでも好きなだけ持っていけと言われた。留
学生たちは抱えきれないほどの食糧を寮に持ち帰って露命を繋いだ。

進駐軍は米軍が主体だったが、連合国の軍隊も来ていた。そしてその中で米軍の食べ物が
一番豪華であることが人目を引いた。食事もそうだし、ふだんからいつもチューインガム
を噛み、ポケットにネスレのチョコレートを入れ、親しげに近寄って来る日本人にチョコ
レートをばらまいた。若い娘をチョコレートや缶詰で釣るGIもいた。風紀の乱れは避け
ようもなく起こった。

日本軍がかつて占領地で行ったことが今、日本本土で手痛いしっぺがえしになって表れた
のである。違いは、日本軍に暴力が付きまとっていたのに対して、米軍は暴力が厳禁され
ていたことだろう。

日本の工業力が徐々に力を盛り返し始めたころに朝鮮戦争が好景気を呼び込んだ。スパル
トは日本の復興をその目と肌でしっかりと感じ取った。


かれにとって心外だったのは、全ヌサンタラの王国が領地領民を共和国に進呈した中で、
ヨグヤカルタだけが特別州として自治権を与えられたことだったようだ。しかしスラカル
タの王家が消滅したわけではない。スカルノ大統領の娘の一人がマンクヌゴロ家の王子の
ひとりと結婚したから、初代大統領は王家の親戚のひとりになった。

スハルト第二代大統領の妻ティン・スハルトはマンクヌゴロ3世の血筋を引く子孫に当た
る。インドネシア共和国の礎石を築いたふたりの大統領は大マンクヌゴロ王家の親族にな
っているのだ。とは言うものの、マンクヌゴロ王家が政治的な特別扱いを受けたわけでは
決してない。

スパルトはその王家の一構成員として、インドネシアという祖国を興すためにその後の半
生を献じた。かれにとっての日本とあの激動の時代は、若き王子が自分探しを行う時期の
背景として重要な位置を占めるものだったにちがいあるまい。[ 完 ]