「グラメラ(17)」(2022年12月14日)

その生産活動が下火になる時期が一年に二回ある。乾季から雨季への移行期と、雨季から
乾季への移行期だ。この時期にはアレンがニラをあまり出さなくなり、中には干上がる木
もある。およそ二カ月間続くその時期には、多くの農家がニラ採集をやめて他の仕事に励
むようになる。必然的に市場への供給が品薄になる。だが完全にゼロになるわけでもなく、
ニラの出る木を探し当てて一日に20個くらい作る生産者もいる。

平常期には近隣のブトン県やムナ県に向けて、毎週5千個、ひと月に30トンくらいが出
荷されている。グラカバエナに人気があるのは、それを使って作った菓子類が数日間日持
ちするためだ。ニラクラパを素材にするグラジャワやグラブギスで作った同じ菓子が半日
くらいしか鮮度を保たないのに比べて、グラカバエナのメリットは大きい。

またニラアレンの特徴である、咳や発熱に効果があるということも巷での常識になってい
る。バウバウの流通業者のひとりは、グラカバエナが不純物のない純度の高いものになれ
ば、南スラウェシ市場をきっと制覇できるだろうと語っている。いかんせん、たくさんの
生産者が自分の生活レベルに合わせて作っている品質であるために、この問題の解決は容
易なことではない。少なくとも、ニラアレンという優れた素材が使われていることが、地
元一帯でのグラカバエナの何よりの強みになっているということのようだ。


バリ島の東に浮かぶロンボッ島で、グラアレンそのものをお菓子にする発想が生まれた。
グラアレンをキャンディのように成形し、個包装して持ち運びの便を際立たせたものだ。
briket gula merah Lombokのキーワードでググれば、インターネットでイメージを見るこ
とができるだろう。

インドネシア語のブリケッは煉瓦のことであり、普通レンガと言うと長方形の立方体をイ
メージするのだが、このロンボッのブリケッは小さい円筒形をしている。エネルギー補給
のための甘いものを必要とするスポーツマンたちに白砂糖製のキャンディよりも栄養価の
優れたグラメラを摂取してもらおうという点に発想の狙いが置かれたようだが、やはり旧
態然たるグラメラのサイズと形に向けられたイノベーションのひとつにちがいあるまい。
家庭用の甘味素材から料理やコーヒーにも使えるという万能性を謳って市場に送り出され
てきたものであるのは疑いないだろう。


西ロンボッ県バトゥラヤル郡ルンバサリ村プスッ部落で2000年代に入ってから小型の
グラメラが生産されるようになった。プスッ部落では総戸数115軒のうち75軒が毎日
ニラアレンを採集して飲料またはグラアレンを作っている。さすがにイスラム社会である
ためにトゥアッは作られず、甘いニラ飲料が作られている。地元ササッ語でaik matengと
呼ばれているものがそれだ。インドネシア語でその意味はair manisだそうだ。

グラアレンを作るとき、この部落ではニラを煮るときに泡が立たないようにするため、プ
ルッの木を削ったものを中に入れている。その普通の製法よりも、ブリケッを作る方が手
間が余分にかかる。不純物を除去してニラをできるだけ純水にするのだが、そのときに容
量が5〜10%少なくなる。言い換えると、この部落で作られている成形グラアレンは不
純物が混じっているのが普通のようだ。

部落民は毎日ブリケッ作りのためにニラアレンを60リッターくらい使っている。ブリケ
ッの成形をするために木の板にびっしりと円形の穴をあけ、煮詰めたニラアレンをそこに
流し込む。板の厚さ分がブリケッの長さになるという寸法だ。一日の生産量はおよそ5k
gになる。個数で言うと236個だそうだ。それを機械を使って個包装している。生産量
はなかなか容易に増やすことができない。


プスッ部落でブリケッのアイデアが最初に生まれたのは1997年だったそうだ。そして
マーケティングが行われ、市場の一部で好評を博したものの、小規模生産であったがゆえ
に採算が合わずに沈没してしまった。しかし2004年になって、部落の青年がそれを復
活させたのである。今では、ロンボッのブリケッグラメラは一部の愛好者をしっかりとつ
かむことに成功しているようだ。[ 続く ]