「グラメラ(18)」(2022年12月15日)

ヌサトゥンガラの東部に位置するフローレス島の西端がマンガライ県だ。マンガライ地方
の先住民はマンガライ族と呼ばれているが、マンガライ族の中にorang Kolangと呼ばれて
いるひとびとがいる。コラン人はニラアレン採集者だ。アレンの木の実がコランカリンと
いう名前でインドネシア語になっていることは上で触れた。そう聞けば、何となく生業と
人間集団とのかかわりが感じられるはずだ。かれらはグラアレンのことをgola kolangと
呼んでいる。

コラン人は概して温和で、人当たりが柔らかく相手を敬い、だれに対してもオープンで、
人間的な温もりと懐の広さを感じさせる特徴を持っていると言われている。ニラアレン採
集という日々の生業がそんな人間性をはぐくんだのだ、とコメントするひともいる。
かれらがロマンチックな精神性を持ったのは、ニラアレンを採集するときにマヤンをどう
扱えば良質のニラがたくさん得られるのかを研究し尽くして先祖代々それを実践してきた
からだと語る解説もある。粗雑にマヤンを扱えば、マヤンは良いニラをくれなくなるのだ。
そんなことでは、自分の生業を繁栄させることができない。


西マンガライ県クウス郡にコラン村がある。上の説明にしたがうなら、コランという地名
が先行したのでなくて、コランという生業がその地方を中心にして興ったことが地名の元
になったのではないかという推測に傾くわけだが、真偽はよく分からない。

現在のマンガライ三県がまだひとつの県であったころの1960年代、コランは既に県下
38カ村のひとつを成していた。マンガライでは行政区分としての村をhameenteあるいは
kedaluanと呼んでいる。

コラン人はコラン村に集まって住んでいたわけでなく、その周辺の広範囲にできた村々や
集落に住んで、先祖代々の生業を営んできた。コラン人が営む生業はpante tuakと呼ばれ
た。ここにトゥアッという言葉が出てくるのは、ニラとトゥアッが同一視されていたとい
うことなのだろうか?パンテトゥアッとは、いかにもトゥアッ作り職人を彷彿とさせる名
称ではないか。かれらはニラアレンからゴラコランを作り、トゥアッを作り、さらにはト
ゥアッから蒸留酒のsopiを作った。

しかし現代インドネシアの社会生活でゴラコランは価格があまりにも廉い。ゴラコランの
生産は昔に比べて大幅に減ってしまった。ゴラコランは長さ20センチ直径3センチくら
いの円筒形になっていて、味と香りを長持ちさせるために必ずアレンの葉で包まれている。
茶碗の底型をそのまま山積みするような神経とはやはりどこか違っているのだろう。

砂糖作りは長時間にわたって燃料を消費する。燃料用木材の価格も上昇が激しい。それら
のコストと労働量が、製品の市価とつり合いが取れないのだ。ひっきょう、コラン人は生
産品をより高く売れるアルコール飲料にシフトせざるを得なかった。トゥアッの方が手間
暇がかからず、またそれをソピにするに際しても燃料費は小さい。

ソピはオランダ語の一杯、一口、一飲などを意味しているzopjeに由来している。このア
ルコール度40%の蒸留酒をインドネシア東部地方の男たちは、毎日早朝に肌寒い戸外に
仕事に出る前、ショットグラスに満たして寝起きの臓腑に流し込み、快気炎をあげて出か
けるという話だ。


コラン人にとってアレンの木は、マヤンがニラをくれ、葉はゴラコランの包装紙になり、
葉脈は建築物を縛り合わせる資材になり、あるいはcaciと呼ばれる伝統行事の武器の素材
にもなる。チャチというのは青年が鞭と盾を手にして行う一騎打ちで、今では観光行事と
して行われている。葉の根元にできる繊維状のijukは住居の屋根を葺くのに使われる。こ
の高い有用性を持つアレンの木からニラを得るために、コラン人はアレンの木を格別に愛
おしむ。その姿は、パンテトゥアッの作法に明瞭に表れている。[ 続く ]