「ガドガド、アルマルム、オセンオセン(前)」(2022年12月21日)

ライター: ジャーナリスト、アンドレアス・マルヨト
ソース: 2010年8月25日付けコンパス紙 "Gado-gado, Arem-arem, Oseng-oseng..." 

それらの食べ物名称を聞いたとき、あなたは何を思い浮かべるだろうか?繰り返し言葉を
使う食べ物名称はインドネシアに少なくない。ほかにも食べ物を食べたときの味の印象や
雰囲気に由来するものもあれば、その食べ物の発祥地の名前を付けたものもある。ヌサン
タラの食べ物の世界はたいへんバリエーションに富んでいてユニークだ。そして食べ物に
付けられる名称も負けず劣らずユニークなのである。

北スマトラ州プマタンシアンタルの町の端に一軒の土産物店がある。この店はありきたり
の土産物屋さんなのだが、店内で売られている土産用の食べ物の名称を見てたいていの客
は驚く。驚くに至らなくても、ニタリと相好を崩す。8種類の商品名称を一瞥すればよい。
ting-ting, teng-teng, tang-tang, tong-tong, tung-tung, pang-pang, ping-ping, pong
-pong. 何というユニークさ!


中部ジャワ州スマランにあるレストランスマラン店主ヨンキー・ティオ氏は食べ物の名称
になった繰り返し言葉について、その命名に関する説明を次のようにした。
「その繰り返し言葉は製造プロセスに関係しています。調理プロセスの中に繰り返し作業
があったり、混ぜ合わせる作業が繰り返されたり、といった特徴があって、それに似あっ
た名前が付けられているのです。」

ヨンキーのノートにはガドガドやオセンオセンの他にたくさんの食べ物名称が書かれてい
た。untir-untir, iwel-iwel, hawug-hawug, intel-intel, tela-tela,  pia-pia, ote-
ote, gela-gelo, suwar-suwir, ating-ating, ongol-ongol, arem-arem, bolang-baling, 
orak-arik, onde-onde, otak-otak, ting-ting, heci-heci, ento-ento, oblok-oblok.そ
の大部分はジャワ人の食と華人プラナカンの食の世界にあるものだ。

この繰り返し言葉の意味について、ヨンキーはジャワ料理orak-arikを例に取った。オラ
ッアリッは野菜と卵を混ぜて作る料理だ。この料理を作るとき、料理を火にかけて加熱す
るだけではすまない。鍋の中の調理素材を何度も何度もかき混ぜることでこの料理が完成
する。こうしてオラッアリッという名前が付けられた。

あるいはonde-ondeというおやつがある。オンデオンデは米の粉を団子にして、外側にゴ
マをびっしりとまぶしたものだ。それを作るとき、ゴマを容器に広げてからその上で団子
をゴロゴロ転がすのである。たいして重くない球体がゴロゴロ転がる様子からその名前が
付けられた。


ポスマン・シブエア教授によれば、調理の際の繰り返し作業や繰り返される混ぜたりこね
たりする作業は味覚との間にシナジー効果を持っているとのことだ。複数の素材が持って
いる味がひとつになり、そして強まる。それらの繰り返し作業の中でいろいろな元素が影
響を受けて発現するために、食べ物に奥行きの深い味覚をもたらすことが起こるのだろう。

混ぜたりこねたりする作業についても、昔からの伝統的なやり方を完璧に代替できる機械
がいまだに作られていないことがその種の作業と味覚の関係を物語っているように思われ
ると教授は述べている。伝統的な手作業で行われるのを好むひとたちは、そのほうが機械
を使って作られたものよりも味覚が優れていることを主張している。

「ブレンダーで作ったサンバルは石鉢ですりつぶして作ったサンバルと辛さが違うとだれ
もが言う。技術的な分析によれば、ブレンダーを使うと香油が出て来ないものがスパイス
の中にある。組織細胞の中にあるその種の香油は石ですりつぶすことによってはじめて滲
出するが、それが味覚に影響を及ぼすためにブレンダーと人間がすりつぶすものでは味が
異なって来る。」

この問題はサンバルの場合だけでなく調理手順や混ぜこね作業における繰り返しの場合に
も類推が可能であり、機械がいまだに人間の調理や混ぜこね作業を一手に引き受けること
ができない現象を説明しているように思われる。消費者を満足させることのできる機械が
いまだにないため、手作業による調理プロセスを続けているひとのほうが多い。[ 続く ]