「ガドガド、アルマルム、オセンオセン(後)」(2022年12月22日)

名称に繰り返し言葉を使っている食べ物が概して華人食文化の影響の強い地方に多いこと
を特筆しておこう。この現象に関する分析は更なる研究を待つとして、小麦粉が食べ物の
主材料になっている点に注意する必要がある。小麦粉は華人がヌサンタラに持ち込んでき
た食材だった。そして場所によってであったとはいえ、しばしば華人がその販売者になっ
た。

繰り返し言葉を食べ物の名前にするのは、ヌサンタラのひとびとが行う食べ物命名法のひ
とつにすぎない。たくさんの食べ物に地名などを使って適当に名前が付けられている。
「昔の料理名称は雰囲気・地名・身体への影響などから命名されました。たとえばrondo 
royalというものがあります。これは未亡人の艶っぽいしぐさに関連付けて名付けられた
ものです。これを食べるとき、舌はあまり動きません。舌が大きく動くと艶っぽい印象が
出るでしょう。それがこの名前のヒントになったようです。」ヨンキーはそう語った。


昔、ひとは食べ物の名前を、適当に、自由に、発作的に、好きなように、呼んだ。随意気
ままというやつだ。たとえそうであっても、なるほどと思わせる規準を持っていたから、
その食べ物の名前に似合っているものとして定着した。

たとえば、華人社会の宗教行事で使われるkuah cemplungという食べ物がある。その調理
プロセスの中で、豆腐のバソを汁の中に入れるときにマップルンという音がする。その結
果チュンプルン汁という料理名称が付けられた。

別の例では、trasikanという食べ物はlara gudigという異名でも呼ばれている。口に入れ
ると口中が白黒のがさついた様子に見えて皮膚病のグディッを思い出させることから、グ
ディッ病というあだ名が付けられた。

飲み物の中にbir Semarangというものがある。これはアルコールのない、スパイスで作ら
れたものだが、ビールという名前が付けられた。オランダ人の住居の番人に雇われたプリ
ブミが、ビールを飲んでいる主人の真似をして類似のものを作った。見かけがビールによ
く似ていて、しかも飲んだあと身体がホカホカしてくるのもよく似ている。


地名の付いた食べ物もたくさんある。soto medan, dodol garut, pisang pontianak, bika 
ambon, pecel madiun, sate padang, sate madura, gudeg yogya .... それらはたいてい、
発祥地を表すために付けられたものだ。

ただ奇妙なことに、その町に行ってもその名前で売られているものが見つからないという
ことによく出会う。マドゥラに行ってもサテマドゥラの看板は見つからないし、サテパダ
ンもパダンで売られておらず、グドゥッヨグヤというものもヨグヤカルタの町にない。反
対にビカアンボンはメダンの町でたくさん売られている。一方、ソトメダンやドドルガル
ッはその町でたくさん販売されていて、探せばすぐに見つかる。

地名の付いた料理名のひとつソトメダンはケーススタディにできる。ソトメダンという名
称は比較的最近始まった。それは全国各地のソトがメダンに入って来て店開きした時期に
重なる。

「ソトメダンというものが始まったのは1980年代だったように思う。そのころ子供だ
ったわたしは、それまでソトと呼ばれていたものをみんながソトメダンと呼ぶようになっ
たことに気付いた。メダンに入って来た全国各地のソトと区別するためにメダンの名前が
付け加えられたのではないだろうか。」メダン国立大学社会歴史学研究センター長はそう
語った。

メダンに入って来たソトパダン・ソトマドゥラ・ソトクドゥス・ソトブタウィなどとは異
なっているメダンの伝統的ソトがソトの世界で自己確立を果たすために、ソトのワルン店
主たちがその勢力の存亡をかけて行った対抗策だったにちがいあるまい。


名前に何の重要さがあろうか?言うまでもなく、名前は重要な役割を持っている。グルメ
観光が盛んになったヌサンタラで、食べ物の命名エピソードはグルメ観光愛好者が視野を
広げるために、あるいは歴史学・人類学の研究のために大切な情報だ。インドネシアの食
べ物は豊富でユニークであり、食べ物の名前もそれを反映しているのである。[ 完 ]