「北の黄色い小人(1)」(2022年12月22日)

ジャワ島の民衆の間であまねく知られている予言がある。西暦1135〜1159年にカ
ディリ王国の王であったJayabhayaが予言したものとされており、総数で2百数十項目に
及ぶその予言をジョヨボヨ王が書き遺したと信じている人が一部にいるものの、現存する
ジョヨボヨ王の自筆もしくは監修した文書はどこにも見つかっていない。特にその時代の
宮廷文学者ンプセダとンプパヌルが書いた作品はジョヨボヨ王の著作について何ひとつ触
れていないため、ジョヨボヨ王をその予言者だと確定できる材料が何もないのである。

人口に膾炙しているジョヨボヨ王の予言は西暦1618年にギリクダトンのイスラム支配
者スナンプラペンの著したムササルの書が出所だということでインドネシア史学界は合意
している。ムササルの書にジョヨボヨ王が予言した内容として書かれているためだ。文献
学的に見るなら、それがもっとも古い文書ということになる。


西暦1741〜1743年にカディラグ領主のパゲランワジル1世が「ジョヨボヨ王の予
言」を意味するJangka Jayabayaというタイトルの書を著した。このパゲランワジル1世
もカルタスラ王宮の宮廷文学者のひとりであり、文学者たちを統率する長の職に就いてい
た。かれはマタラムイスラム王国がスラカルタ王国に移行する時期に王宮の中心にいた人
物だ。代々のジャワの王宮文学者たちもその著作の中にジョヨボヨ王の予言をさまざまに
変形させて使っていたから、表現のバリエーションは避けようもなく起こった。予言内容
の逐語的な定型化の正反対が長い期間にわたって行われたことになる。

ジャワの王宮がジョヨボヨ王の予言に深い関心を抱いていたわけだから、ジャワ民衆の信
じているジョヨボヨ王の予言がより豊かになっていったのも当然だろう。われわれがここ
で注意しておくべきことは、ジャワの民衆の間で巷説として流布している予言の内容が何
かの書物を読んでかれらの認識の中に形成されたものではなさそうだ、ということなのだ。
つまり聞き伝えで広まったその内容について、その原典を求めても独り相撲に終わる種類
のものごとのひとつではないかということなのである。


ジョヨボヨの予言の中に、ジャワ島が後にたどった西洋人の支配と植民地化に関するもの
がある。ジャワ島は長期間にわたって白人の支配下に落ち、そのあとに北の黄色い小人が
やってきて白人の非道な支配を終わらせ、小人も支配を短期間に終わらせて去って行き、
その後はジャワ人のジャワ島になる、という内容だ。

広大なヌサンタラの地を植民地にして祖国オランダに大きい繁栄をもたらしたオランダの
国家英雄であるヤン・ピーテルスゾーン・クーンもジョヨボヨ王の予言を聞き知ってVO
C重役会への報告書に次のように書いたそうだ。
「この地の諸国には昔から予言が語り伝えられていた。その予言はこう述べている。遠い
土地から異民族がやってくる。肌の色が白く、全身を衣服で覆い、手も足も覆っている。
目は猫の目のようで、鼻が大きい。豚肉を好んで食べる。その異民族がこの土地を支配す
る。」

本来商業利益の追求を目的にして作られたVOCという会社連合がその利益を最大にする
ために外国の土地や住民を支配するという構想を抱いて会社を国家よりも上位に位置付け
たクーンは、自分の考えを重役会に説き続けていた。

それまで、会社はアンボンに本拠を置いてスパイスを集めることに専心していたのだから、
重役会がどういう方針で会社経営を考えていたのかはその事実が示している通りだったと
思われる。征服・占領・支配ということは行われたが、すべてが袋や樽に入ったスパイス
として結実すればそれでよいというのが当時の会社内にあった方針だっただろう。

クーンはそんな重役たちよりもはるかに貪欲だった。会社の利益の源泉をスパイス一本槍
にしてはならない。あらゆる手駒を使って会社の利益を作り出すためには、手駒は手から
こぼれるほどあるほうが良いに決まっている。[ 続く ]