「北の黄色い小人(3)」(2022年12月26日)

昔はほとんどだれも気にしないでjagungという言葉を現代インドネシア語のトウモロコシ
に翻訳していたが、それは史実としておかしいという意見が出てきた。トウモロコシはア
メリカ大陸原産であり、新世界の発見によって15世紀にはじめてヨーロッパ人が旧世界
に持ち込んできたものであるから、12世紀に生きたジャワ島のジョヨボヨ王がトウモロ
コシを知っていたはずがない、というものだ。実際に、ヌサンタラにトウモロコシが伝来
したのは16世紀のポルトガル人によるというのがインドネシアの学術界での定説になっ
ている。

史実から見ておかしいというその意見は、ジョヨボヨ王が予言を口にしたときにジャグン
という言葉を述べたことが前提にされている。しかし上で述べた、ジョヨボヨ王の予言の
源泉が1618年のムササルの書とされているという考察に従うなら、その前提自体が的
外れだということになるかもしれない。スナンプラペンはトウモロコシを知っていたと考
える方が自然ではないだろうか。すると、ジョヨボヨ王の予言だと言いながらスナンプラ
ペンが創作したものではないのかという疑惑が浮上してくる。これは答えの得られない疑
問だ。


視点を変えてみよう。トウモロコシの渡来以前にジャワ人の語彙の中にjagungが存在して
いなかったかどうか。デニス・ロンバール教授は古ジャワ語の中にジャグンがあったと書
いている。その説によれば、ジャワ人は昔からjawa agungを短縮してjagungと呼んでいた
のであり、その語は更にムラユ語の中に摂取された。このジャワアグンというのは一体何
なのか?jawaとは現代インドネシア語のjewawutのことで、大型のジュワウッがジャグン
と呼ばれていたと解説されている。このジュワウッあるいはジャワウッとは日本語の粟を
指している。

ちなみにズッミュルダー編纂の古ジャワ語辞典にもデニス・ロンバール教授の説と同じこ
とが記されており、このjagungはjabungという同義の音変化語を持っていることが述べら
れている。粟の生育期間も70日程度であるから、トウモロコシと似たようなものになっ
ている。オランダ人の350年というヌサンタラ寄生期間に較べたら、日本人の3年半と
いう寄生期間の短さを表現するための比喩に使われたジャグンが粟であろうがトウモロコ
シであろうが、本質論的には何の違いもないと言えそうだ。


黄色い小人が北からやってくるという話は、白人がもっと北からやってきたのが事実であ
ることを知っているわれわれの耳には奇妙に響く。白人は確かに大西洋の北の端からアフ
リカ南端まで下って来たが、オランダ人はそこからインド洋の中央部を突破してヌサンタ
ラにやってきたから、ヌサンタラのひとびとの目には西から来たように見えたはずだ。

日本にやってくるときには赤道近辺に設けた本拠地から北上して来たから、日本人は白人
を南蛮人と呼んだ。大航海時代以降にアジアに設けられた白人の拠点が赤道近辺に集中し
たのが日本人の誤解の原因だったということだろう。白人が北の果てからやってきていた
ことをアジア人はいつごろ認識したのだろうか?

ジャワ人は北に最大の注意を払わねばならないという認識を昔から持っていた。北からや
って来るものがジャワに大きな変化をもたらすと考えられてきた。常に北を注意し、警戒
せよ。良いものも北からやってくるが、敵や大きい災難も北からジャワにやってくるのだ。
歴史を見るなら、元の軍勢も北からやってきたし、日本軍も北からやってきた。

確かにジャワ島から見て南の土地に住んでいたのはアボリジニだけであり、アボリジニは
侵略戦争などしない。ジャワ島が北の大陸文明から見たら南西のどん詰まりにあるという
地理的位置から言えば、南から大きな変化がジャワ島に襲い掛かってくることは可能性が
たいへん薄く、また歴史の中でもそんな実例は起こらなかったように思われる。[ 続く ]