「エスリリン(前)」(2022年12月27日)

アイスキャンディは昔、インドネシアでes lilinと呼ばれた。es loliとも呼ばれたのは、
スティックを手に持ってぺろぺろなめる食べ方が似ていたからだろう。リリンとはロウを
意味しており、長いロウソクの形をしているのに例えられたように思われる。

1970年代のジャカルタではスンダ歌謡が優勢だった。どこの家で鳴らしているのか分
からないスンダ歌謡の女性歌手の歌声が夕闇の中で、あるいは夜のとばりを照らす裸電球
の光の下で、わたしの感傷の琴線を共鳴させてくれたものだ。そんな歌の中にブブイブラ
ンやエスリリンがあった。

その当時、ジャカルタのクバヨランバルという上流住宅地区の家々で働いている下男下女
やジャガはスンダ人が多かった。jagaとは今で言うセキュリティのことで、要するにその
家を守る番人だ。当時のジャカルタの日本人社会ではその番人のことを「ジャガーさん」
と何やら動物めいた言い方で呼んでいた。イメージが合致したのだろうか?

スンダ人の使用人の中にはインドネシア語がとつとつとしか話せない少年下男もいて、用
事を言いつけると見当違いの仕事をしてくれることもあり、大笑いしたものだ。ジャカル
タはそのころ、まだスンダ文化の色がたくさん残されている土地だったようだ。だからス
ンダ歌謡のファンが多かったのも当たり前のことだったのだろう。


ジャカルタにやってきてインドネシア語もまだ不十分な新参の若僧にスンダ語が分かるは
ずもなく、スンダ歌謡の旋律がもたらすエキゾチックな印象とあまりにもソフトなスンダ
女性歌手の歌声を楽しむだけのわたしだったが、エスリリンの歌詞がこんなものであるこ
とを最近はじめて知った。

Es lilin mah didorong-dorong
dibantun mah dibantun ka Sukajadi
abdi isin ceuceu samar kaduga
sok sieun mah aduuh henteu ngajadi

Es lilin mah ceuceu buatan Bandung
dicandakna geuningan ka Cipaganti
abdi isin jungjunan duh bararingung
sok inggis mah aduuh henteu ngajadi
.......

これもパントゥンになっているのだろう。歌詞のメッセージとは関係のない音遊びの部分
が混ぜ込まれている雰囲気があって、逐語的に意味を追いかけていくとなかなか核心に迫
れずに離れた場所を堂々巡りしている気持ちになる。音遊びと言っても、言葉の意味がか
けられているのだから、それが本論に関係しているのかどうかがなかなかつかめず、全編
を通してひとつのストーリーが構築されないわけだ。

歌詞の内容は良い男にアプローチされた娘心を歌ったものだそうで、恥ずかしくてどうす
ればいいのか・・・という昔気質の女性の気持ちが感じられる。この歌詞の中でエスリリ
ンは何を象徴するために使われているのだろうか?


歌詞の出だしにEs lilin didorong-dorongと述べられているのは、巡回エスリリン売りの
荷車のことを言っているのだろうか?昔のエスリリン売りは荷車の中に氷を積んでおき、
アイスキャンディを作る準備を整えてから荷車をゆすってキャンディを氷結させた。だか
ら販売者はしばしばes goyangとも呼ばれた。

冷凍設備などまだまだ一般に普及していない昔、エスリリンを先に作って暑い日射の下を
売り歩いていれば溶けてしまうだろう。だから客が集まったらその人数分をその場で作っ
て販売する方法を執らざるを得なかったにちがいあるまい。材料を氷結させるための氷が
荷車の中に置かれていて、エスリリンを作る時には氷に塩を撒いて温度を下げた。要する
に荷車の中が一種の製氷室のようになっていた。[ 続く ]