「エスリリン(後)」(2022年12月28日)

エスリリンの材料である色と味の付いた液体を金属型に入れ、型を氷の中に突っ込んでゆ
っくりとゆすってやると液体が氷結する。氷結し始めたときにスティックをさしこみ、し
っかりと凍らせる。氷結するまでに15分くらい時間がかかる。凍ったら型から外せばで
きあがりだ。型から外すときには、型をちょっとだけ水に浸けるとエスリリンが取り出し
やすくなる。

液体にはサゴ粉・緑豆粉・ココナツミルクなどが適宜混ぜられていて、中には調味した緑
豆やピーナツを別に加えて高級品すら作る販売者もいた。溶かしたチョコレートでコーテ
ィングすることは普通に行われていたようだ。


しかし移り変わる時代の中で、揺れるエスゴヤンの作り売り巡回販売者は市場から駆逐さ
れて行った。なにしろ、カンピナやウオルスなどのブランドの付いた棒型アイスクリーム
を自転車やオートバイの荷台に載せて巡回販売する者たちが奥深いカンプンにまでやって
くる時代になったのだから。消費者の嗜好は変化した。100ルピア200ルピアで買え
るエスリリンよりも数千ルピアのアイスクリームのほうがずっとおいしい。そんなものを
いまだに買っているのは山奥のカンプンの子供たちくらいかもしれない、という記事が2
003年のコンパス紙に掲載されていた。

その記事は、ジャボデタベッから姿を消したように思われているエスゴヤン売りをブカシ
県の寒村で見つけたという内容だ。その記事が書かれた当時、ブカシ県内スカタニ郡やチ
ャバンブギン郡ではエスゴヤン売りがまだまだ荷車を押して巡回していたのだ。

スカタニ郡バンチョン部落出身のサルダンさん50歳は日々、Es Lilinと書かれた小さい
荷車を押して田舎の部落を巡回するのが仕事だ。この仕事は15年前に始めた。この荷車
も15年間使い続けてきた。昔はおおぜいエスゴヤン売りがいたが、今ではもう12人し
か残っていない、とかれは言う。

部落に住んでいる者ならだれでも買うかと言うと、そんなことはない。アイスクリームを
簡単に買うことのできない階層がエスゴヤンの顧客なのだ。顧客層は薄くなる一方だろう。
インフレのおかげでみんな収入金額は増加しているのだから。

2003年1月1日、国民の休日であってもサルダンは仕事を休まない。チャバンブギン
郡ジャヤバクティ村のウタンクラマッ部落にかれの姿があった。たくさんの子供たちが荷
車の周辺に集まっている。サルダンはそれぞれの注文に合わせて材料をそろえ、型に入れ
る。緑色・ピンク・白色・・・。材料を型に入れてから氷の中に突っ込む。人数分を入れ
終わったら、荷車をゆすり始める。エスリリンが出来上がったら、チョコレートコーティ
ングを注文した子のために、溶けたチョコの容器の中にそれが浸される。


エスリリンにする液体はココナツミルク・塩・砂糖・ソーダ・着色料・水。サルダンは毎
日ココナツを4個使って果肉からココナツミルクをしぼる。湯冷ましバケツ一杯。砂糖7
50グラムと塩少量。それらを火にかけて種々の色の甘いシロップを作る。

氷は製氷所で作られた大きなブロック氷を四分の三個粉砕して荷車の底に入れる。それに
振りかける塩は5キロ。

荷車には氷のふたになるように板が付けられ、板にはエスリリン型をさしこむ穴が55個
開いている。ゴヤンの作業は荷車を固定させる棒の上に片足を乗せてから荷車をゆっくり
上下させる。

この商売で、一日の利益は売れ行きが良ければ4万ルピア、悪い日は2万ルピア程度。し
かし2万ルピア程度という日はあまりない。サルダンは近い将来、ブカシ市内への進出を
もくろんでいる。町中に進出したら、値段を一個5百ルピアにできるのだ。もちろん材料
にはサゴや緑豆の粉を加えて食べ応えのある商品にしなければならない。サルダンの挑戦
は果たしてどうなっただろうか?[ 完 ]