「北の黄色い小人(終)」(2023年01月10日)

日本は戦争中、物資不足と困窮への耐乏生活を自国民に強いたし、占領地のインドネシア
でも同じような姿勢を執った。インドネシアの資源を取り上げたのは、自国民に繁栄を享
受させるためでなく、戦争遂行に使うことが第一目標とされたのだ。客観的に言うなら、
インドネシアの犠牲の上に直接的に自国の繁栄を築こうとしていたのではなかったと言え
るだろう。戦争遂行の先にあるものを目指して自国民にもジャワの民衆にも犠牲を強いて
いたということになる。

一方皮肉なことに白人支配下の時代には、原因が戦争であれ何であれ、オランダ本国が困
窮しているときにインドネシア人の生活基幹物資を取り上げて運び去るようなことが起こ
らなかった。オランダ人が行ったのはインドネシアが生み出す富を搾取することであり、
その富を使って本国を繁栄させたのだ。その富を作らせるためにインドネシア人自身のた
めの生活基幹物資の生産が低下したことはあっても、インドネシア人が作った生活用物資
に手を付けることは起こらなかったように思われる。

そのような比較と評価をインドネシア人の目を通して行ったとき、白人からの解放者が持
った本性の悪辣さが浮かび上がって来てもおかしくはなかっただろう。しかしその評価は
フェアネスに欠けているのではないか?


そのうちにだんだんと、インドネシア人は日本人の民族性に直接触れることになった。自
己尊大の傾向が生む傲慢さ、視野の狭さがもたらす狭隘な精神、理性を研磨して論理性を
高めることを怠るゆえの非合理性、衝動的な情緒、同族同郷の風土に安住したがるムラビ
ト精神・・・。それらが一体となってあの戦争を終わらせる方向に作用したと語る日本人
の論説もある。戦前にインドネシアで空中浮遊するに至ったプロタゴニストのイメージは、
いつの間にか地上に落ちて路傍に転がっていた。

1942年3月のバタヴィアに向かう大行進をピークにして、黄色い小人の偶像は精彩を
失っていった。偶像は観念の中にいてこそ光芒を放つものであり、偶像が生身を持ったと
きに幻滅が影を落とすのが世の常ではないかとわたしは思っている。


ジョヨボヨの予言の実現という形で幕を開いたインドネシアにおける日本軍政は三年半の
間に、インドネシア人にとって善事から凶事に変化していったにちがいあるまい。194
2年3月1日に起こった集団ヒステリーだけを見て日本軍のジャワ島占領を善事だったと
言う見方は推移や変化という要素を見落としていないだろうか?

凶事という評価への変化の中に、インドネシア人側の一方的な思い込みが混じりこんでい
たことは上で触れたとおりだ。白人の支配下から解放されたらインドネシア人の生活の繁
栄と幸福がすぐにやってくるという期待は現実離れした甘い考えだろう。だが、それが人
間というものではなかったろうか?


ジョヨボヨの予言はすべてその言葉通りに実現した。北の黄色い小人が白人の支配下から
ジャワを解放した。そのあと、ジャワ人がすぐに繁栄と幸福を謳歌することになっていた
か?そんなことはひと言も予言の中に書かれていなかった。そのあとは北の黄色い小人が
短期間の支配を行ってから去っていくと書かれていたのだ。そのときはじめてジャワがジ
ャワ人のものになる。その最終フェーズで繁栄と幸福がジャワ人の頭上におのずとやって
くるだろうか?異民族支配者が去ったらそうなるというのは、楽観主義者の身勝手な短絡
的結論だろう。それすらジョヨボヨはいっさい保証していないのだから。歴史はジョヨボ
ヨの予言通りに動いている。[ 完 ]