「餅(5)」(2023年01月13日)

日本人が「お肉」と言うとき、はたしてそれは豚肉や鶏肉を指しているだろうか?インド
ネシアにもよく似た現象があって、プリブミが「daging」と言うとき、それがやはり牛肉
を意図して使われているケースにわたしはしばしば遭遇している。

ところが在ヌサンタラ華人にとっての肉という言葉はたいてい豚肉を指しているようだ。
わたしの体験談を語るなら、昔あるときにジャカルタのコタ地区で、わたしは麺のワルン
にひとりで入って汁麺を注文したと思っていただきたい。するとその店の華人店主はわた
しに「bak atau ayam?」と尋ねた。「肉か、それともニワトリか?」というのはいったい
どういう意味なのだろうか?鶏肉は肉の範疇に入らないのだろうか?いや、そんなことで
はないのだ。この「肉」という言葉が曲者なのである。


インドネシアはムスリムがマジョリティを占めている国だ。ムスリムは豚を食べることが
禁忌にされている。華人店主ははじめてやってきたわたしがムスリム華人であるかどうか
を知らないためにあえてその質問を発したのではないかとわたしは解釈した。つまり華人
が言う「肉」というのは豚肉が常識になっていることをそれが示しているように思われる
のである。

わたしは成人したころから、自分の顔の造作が半島人っぽいのではないかと思っていたの
だが、インドネシアに住むようになってからはしばしば華人プラナカンと間違えられるこ
とが起こって、わたしを唖然とさせた。昨今でも、わたしが正体を明かすと相手が驚き、
わたしの顔はCina bangat!だと言ってくれる。

ただ、バリ島の土産物売店にいる売り子たちは男も女もわたしをすぐに日本人だと見破る
から、ジャカルタでは怪しげなチナで通っていたわたしもこの現象の違いに面食らってい
るありさまだ。これは無駄話。


麺のインドネシア語は昔、bakmieと書かれた。つまり肉麺だが、もうひとつ踏み込むとそ
の言葉だけで豚肉麺になる。元々、豚でダシを取ったり豚肉を使っていたことがその名称
に関わっていたはずだ。ところが、インドネシアのプリブミが同じものを作り始めたとき、
素材の入れ替えが起こった。

豚肉が追放されて鶏のダシと肉に替わっても、プリブミはその料理自体の名称をバッミだ
と思っていたから、bakmie ayamと命名したように推察される。だがバッミの意味が解る
人間にとって、その「ニワトリの豚肉麺」という名称はお笑い草にしかならなかったので
はないだろうか。

とどのつまりは、たいへん長い期間にわたってインドネシアで麺料理は、素材が何であれ
bakmiが標準の言葉になっていたのである。1970年代でもひとびとはみんな、非豚系
の料理であるにもかかわらず、バッミアヤム、バッミゴレン、バッミクアなどと麺料理を
呼んでいた。

それに変化が起こったのは、わたしの個人的記憶に従えば1990年代から2000年代
にかけてのころではないかという気がする。麺という言葉の語源的な実相が理解されて、
バッが外されるようになってきた。こうしてバッミアヤムをミーアヤム、バッミゴレンを
ミーゴレンと呼ぶ常識が形成されていった。
麺の話、中でもミーアヤムについては、拙作「ヌサンタラの麺」をご参照ください。
http://omdoyok.web.fc2.com/Kawan/Kawan-NishiShourou/77mieNusantara.pdf


肉餅bakpiaもバッミと同じような道をたどることになった。とはいえ、こちらは地域性が
からんでいて、老舗のほうは定着した旧名称を相変わらず使い、新興がバッを外してしま
ったから、名称上での競合が起こらない形になっている。その状況は、バッに関わる経緯
を知らない一般消費者にピアとバッピアは違うものだという印象を持たせるトリックにな
っているように見えなくもない。

バッピアは最初、ヌサンタラのプリブミ社会でヨグヤカルタ名物になった。プリブミが作
りプリブミが食べるバッピアはもちろん華人の肉餅ではない。緑豆粉の甘い餡を小麦粉の
皮で包んだ饅頭だ。発端はやはり新客華人が持ち込んできたものだった。[ 続く ]