「餅(18)」(2023年02月02日)

わたしも一度はガウィのレドレを土産に買ったことがある。ガウィやボジョヌゴロのレド
レはモチ米のドウを熱しながらバナナドウを溶かし込んで一体化させ、それをエッグロー
ルクッキーのような円筒形に成形したものだ。そのころ、ソロのレドレピサンの存在をま
だ知らなかったわたしはインティップなどをソロのパサルグデで買っていたのだが、もし
あのときそれを知っていたら、と今でも悔恨の炎にさいなまれている。

wingko
ウィンコババッというのが通称になっているこの焼き菓子は20世紀初期から華人が作り
はじめたそうだ。最初に作られたのが東ジャワ州ラモガンLamongan県ババッBabatの町だ
ったのでババッの地名が添えられたという話になっている。しかしどうもこの地名の冠称
は他の土地の産物と区別するために付けられたものでない印象が強い。なぜなら、世間に
出回っているウィンコはこのウィンコババッ一種類しかないように思われるからだ。それ
でも、ウィンコは東ジャワ州北岸部で一般的な食べ物であると解説されている。

ウィンコはこのようにして作られる。
1.鶏卵と砂糖を撹拌して均一にする。
2.1にモチ米粉・粉末バニラ・バターを混ぜ込んでドウを作る。
3.若ヤシの果肉フレークを加えて、滑らかな状態にする。
4.焼き型に食用油を塗ってオーブンで加熱する。
5.熱くなった焼き型にドウを入れて上面を平らにする。
6.オーブンで3.5から4時間、弱火で焼く。
7.ドウの上面が乾いたら完成。焼き型から出して冷まし、適当なサイズに切る。
味わいを豊かにするため、干しブドウやナンカの実のコマ切れをドウに加える人もいる。
仕上がりの柔らかくてみずみずしいものにする秘訣はヤシの果肉フレークにあり、必ず若
いヤシの果肉を使うよう、あらゆるレシピが勧めている。

上の作り方の3と4の間にドウを蒸す人もいる。蒸してからオーブンで焼くとできあがり
のみずみずしさが違ってくるそうだ。この焼き菓子は硬かったり乾燥してぱさぱさしてい
ると味わいが悪くなる。一番良いのは自宅で焼いて、まだ温かいのを賞味することだろう。
オーブンがなければテフロン鍋でもできると解説されている。

小売販売されているものはたいてい、平らな円形のものが一個紙袋に入っていて、ウィン
コババッの商品名が付けられている。鉄道駅やバスターミナル、お菓子屋などでおやつや
土産物用に販売されているから、見つけやすい。

スマランで作られるものが人気を得て、スマラン名物として世に広まったのだが、スマラ
ンの原産でなくて発祥はババッなのだという家元争いが起こったのかもしれない。ババッ
はボジョヌゴロ〜ラモガン街道とトゥバン〜ジョンバン街道が交差する場所にできた小さ
い町であり、今ではこの町を通り抜けるとき、ウィンコババッの看板と販売店が街道の両
脇に所狭しと並んでいるという話だ。たくさんの生産者がいるにちがいあるまい。たいし
た産業のない農業地帯に興った名物菓子が町の経済開発に貢献している姿をそこに見るこ
とができる。


ババッの町中にToko Loe Lan Ingという看板を掲げた店がある。ババッでウィンコを製造
販売する老舗のひとつだ。ルー・ランインがその店でババッのウィンコを商業化させた。
ウィンコという食べ物を最初に作ったのはルー・ランインの父親ルー・スーシアンと母親
ジョア・キッニオだった。この夫婦には息子と娘ができた。その息子ルー・ランインが父
親の考案した焼き菓子をババッで一般に販売してその家業の礎を築いた。

ランインはゴー・ギアウキムと結婚し、その娘ゴー・キオッニオがランインの店を継いだ。
一方、その息子ゴー・キオッヒンは別の店を出してウィンコババッを販売した。ルー・ラ
ンインの店の製品はルー・ランインという商標名を大書しているだけだが、ゴー・キオッ
ヒンは若ヤシの実の絵をアイコンに使っている。クラパムダをアイコンにしたキオッヒン
も自分の名前を商品パッケージに使おうと考えたそうだ。しかしその時代、華人にインド
ネシア名を使わせることが社会で強要されていたため、かれは自分のインドネシア名であ
るゴンドクスモ・ハディをパッケージに書いた。[ 続く ]