「餅(20)」(2023年02月06日)

wajit 
中部ジャワのwajikと名前はよく似ているものの、wajitはスンダ文化の産物であり、外見
も全然異なっている。こちらのワジッの発祥地は西バンドン県チリリン郡だ。形はピラミ
ッド形・半円筒形・平板形・方形・球形などさまざまに成形されたものが、トウモロコシ
の皮に包まれている。

チリリンはその発祥地とあって、販売用ワジッの生産が盛んだ。製造所では次のような製
法で作られている。
1.モチ米粉・グラメラ・ココナツミルクを大鍋に入れ、かき混ぜながら45分ほど煮詰
める。
2.1を容器に移して冷まし、冷えたら成形してトウモロコシ皮で包む。
3.2をオーブンに入れて30分ほど焼く。
4.それを冷ましてから小さいプラ袋に入れて生産終了。

スンダのひとびと、中でも東部寄りのガルッやタシッマラヤでは朝な夕な、一息ついてブ
ラックコーヒーを楽しむとき、このワジッが友になる。この菓子はスンダの古文書によれ
ば15世紀に既に食べられていた。Sanghyang Siksakandang Karesianの書をはじめとし
て、いくつかの文献にその存在が記されているそうだ。

その当時、この菓子は貴族階層の独占物であり、一般庶民は食べることが禁じられていた。
モチ米が貴重品だったためにそうなったと説明されている。オランダ人がやってきて西ジ
ャワ地方のあちこちがVOCに奪われると、プリブミ貴族階層とオランダ人が一緒になっ
て庶民に禁止令を下した。オランダ人もこの菓子を好んで食べたという話だ。

オランダ人が禁止したのは、モチ米がアジア域内で交易商品になっていたため、プリブミ
が作るモチ米が通商用商品として取り上げられたからだという解説になっている。しかし
そのころからモチ米の産地だったチリリンの民衆はその禁令に従わず、ワジッを作って一
般庶民層に流通させた。

一般庶民層も貴族がやって来るような祝宴を催す際にはワジッを用意しなければならない
から、チリリン産の商品を買うほうが便利で手っ取り早い。しかし挙句の果てに、オラン
ダ人はチリリンのワジッ生産に対して干渉を開始した。作らせることにメリットはあるが、
野放図に作らせるわけにいかないから監督しようということだったのだろう。貴族階層も
オランダ人に味方して庶民が食べられないようにしようと努めた。

チリリンのひとびとはそれに敢然と反対し、毎年手に入る大量のモチ米を使って支配者為
政者の目を盗んでは生産し、パサルに卸すことを続けた。ワジッにはそんなレジスタンス
の歴史がからみついている。

angleng
西ジャワ州ガルッにはwajitによく似たアンレンという菓子がある。宗教儀式や祝宴、賓
客への饗応などに使われてきたものだが、現代では日常生活の中の菓子として地元民に食
されている。ガルッの郷土菓子ということで土産物店には必ず置かれているそうだ。チリ
リンのワジッと似たような食べ物がトウモロコシ皮で同じように包まれているものだから、
名札だけ替えたのではないかと思うひとが出るかもしれない。しかし地元民識者は、こん
な違いがあるのだ、と説明している。

最大の違いは黒モチ米粉が使われている点かもしれない。もっと大きい違いとして、チリ
リンのワジッは粒米を使い、アンレンは米粉を使うために、ワジッは溶け切らない米粒の
食感が強いのに比べてアンレンは滑らかなゼリー状の感触になるという説明もなされてい
るのだが、それはきっと昔の話なのではあるまいか。今のワジッはモチ米粉で作られてい
るので、この違いは現代では該当しないように思われる。[ 続く ]