「ジュナン(3)」(2023年02月14日)

1823年に完成したSerat Centhiniにも、結婚式のいくつかの儀式のなかでジュナンア
バンとジュナンバロバロが用意されることが記されている。スラッチュンティニの物語の
中で主人公のチェボランはマタラム王宮に仕えるアマッ・トゥガラと母親が住んでいる家
に泊まったとき、ジュナンドドル・ジュナンナンカ・ジュナンドゥレン・ジュナンジウィ
ッを作った。慣習儀式の供物ではあったが、そのころ一般庶民が普通に食べるものでもあ
ったのである。

もっと最近の時代にソロの宮廷文学者パッマスサストラが書いたSerat Tatacara(1893-19
04)には、種々の伝統儀式における粥についてのことからそれを供する際の作法に至るま
でがもっと細かく説明されている。

スラッタタチャラには、胎児が育っていることを祝うために毎月さまざまな粥が供される
慣習が記されている。それによれば9カ月目の祝にはjenang procotが作られる。この粥
は円滑無事に胎児が生まれるようにとの願いを込めて供されるものだ。現代のジュナンプ
ロチョッは白米の粉とグラジャワを混ぜて作られる濃い液状の甘い粥で、ココナツミルク
をかけて食べる。出産したらそれを祝うためにジュナンバロバロ、ジュナンプティ、ジュ
ナンメラプティなどの粥が作られ、こどもの歯が生え始めるとまた異なるジュナングラウ
ランが作られる。

ジュナングラウランはモチ米の粥だ。グラメラ・パンダン葉・トウモロコシ粒を加えて作
り、食べるときにココナツミルクをかけて供する。これはこどもの歯が問題なく生えそろ
うようにとの祈りが込められたジュナンなのである。

国の安寧と発展を祈願する儀式から、個々人の誕生から死去までの推移の節々に訪れる通
過儀礼を含む諸祭事にいたるまで、ジュナンはそれらの場に欠かせない食べ物になってお
り、ジュナンを供しジュナンを食べなければ祝も祈願も完結しないありさまになっている。


それらの祝い粥はtakirと呼ばれるバナナ葉で作った容器に入れて食べる。タキルはジャ
ワ文化における素晴らしい発明品であり、伝統儀式のあとで王をはじめ王宮の高位高官と
一般民衆が混じりあって楽しむ祝宴のとき、高位者も末端庶民もみんなが同じような皿で
食事をするというジャワ人の平等性を象徴するものだと解説されている。

時代が下ってきて焼き物の食器が使われるようになってからも、ジャワ人はジュナンを供
する時、必ずと言っていいほどタキルを使った。ジュナンとタキルは長い歴史の中に築か
れた祈りと希望を求める場における定型パターンとなって社会記憶の中に保存されたよう
だ。イスラム化したあと、takirのバクロニムとしてtakwa+zikirと解釈する哲学も語られ
ている。


jenang abrit pethak, jenang mutioro, jenang jagung, jenang suran, jenang sumsum, 
jenang ketan ireng, jenang sambel tumpang, jenang kacang hijauなど実に様々なジャ
ワの伝統的ジュナンの中で特に印象的なもののひとつに、ジュナンスロあるいはジュナン
スランと呼ばれるものがある。スロとはジャワ暦一月のスロ月を意味している。

カレンダーがスロ月になると、スラカルタのひとびとはジュナンスランを作って食べる。
新しい年の始まりに際して、この一年がより良いものになるよう、ひとびとは自分のあり
方に思いを馳せるのである。

ジュナンスランはコメの粥にプルクデルとサンバルゴレンクレチェッそして小さいクルプ
ッを添え、上から炒めた大豆・バジル葉・薄い卵焼きの細切りを降りかけたものだ。最初
はお供えに使われていたものが、段々と社会化していき、今ではだれもが正月を迎える祝
祭のシンボルとして食べている。スロ月でなければ不敬に当たるのか?自由を愛するジャ
ワ人がそんな規制をするはずがない。ジュナンスランが好きなら、いつでも好きなときに
どんどん食べればよいのだ。[ 続く ]