「バッソは国民食(終)」(2023年02月22日)

さすがにバッソの一極をなすとあって、バンドンはbatagorの生みの親として知られてい
る。バタゴルというのはBAkso TAhu GORengの短縮語だ。これはタフゴレンの中にバソが
包まれているものだから、タフゴレンのバリエーションと見なすのが妥当なように思われ
るというのに、名称は逆になっている。インドネシア語では被修飾語、つまりその概念の
主体を成す言葉が前に置かれる。重点になる言葉が先に述べられるのである。

もちろん「バッソとタフゴレン」というように同格の並列表現という解釈も不可能ではな
いにせよ、インドネシア人は果たしてこの言葉をどのようにとらえているだろうか?言語
感覚に従うなら、主体になる重要な言葉を先に述べるインドネシア語の用法にしたがって、
その食べ物はバッソの一種であるという印象を持っているのではあるまいか。

だがしかし、もしもこの言葉を華人プラナカンが中国語の用法で名付けたとしたらどうだ
ろう。中国語では被修飾語が後ろに置かれるのが一般的な用法だから、これはバッソを入
れたタフゴレンという解釈になりそうだ。

ところが、これをバソタフと解釈するインドネシア人もいる。豆腐を素材に加えたバソと
いう理解であり、そのバソがゴレンという調理法で作られるからバソタフゴレンと呼ばれ
るのだそうだ。マランにはゴレンでなくて蒸す調理法のバソタフがあり、バタゴルはその
調理法のバリエーションということになる。

マランのバソタフククスはバッソスープで供される一方、バンドンのバタゴルはピーナツ
ソースをなすりつけて食べる。バタゴルはバンドン名物シューマイの一員に加えられて、
多くのインドネシア人がソマイと呼ぶシューマイの食べ方であるピーナツソースを伴侶に
するようになったのかもしれない。


バンドンで老舗のひとつであるワルンバタゴルの店主は、バタゴルは元々、学生生徒が買
い食いするおやつだったと語っている。1980年代にワルンをオープンしたその店主は、
ワルンを開く前から家の表でバタゴルを売っていた。1個百ルピアの時代だった。

バタゴルを買いに来るのは中高生くらいの子供たちで、子供たちが買って家に持ち帰った
ものを親が食べてみたらしく、だんだんと愛好者が増加していったそうだ。今ではジャカ
ルタからバンドンに観光行楽で遊びに来たひとびとが、本場のバタゴルを食べなければ、
との決意を示しにやってくるそうだ。


プンチャッ街道登り道のサファリパーク三差路からおよそ2キロほど先にBakso Setanの
垂れ幕を出しているワルンがある。普通は片手に収まるくらいの団子なのに、この店のバ
ッソは新生児の頭くらい大きいサイズになっていて、お化けバッソという名前にふさわし
い品物になっている。

チアンジュル出身の店主アエップ・サエフディン氏は甥のヘンディくんとふたりで200
0年に小さいワルンバソを街道沿いに出した。最初はテニスボール大のバッソを作り売り
する計画だったから、屋号はバッソルマヤンと名付けた。lumayan besarを意図したので
あって、決してlumayan enakではなかったそうだ。

あるとき、面白半分に巨大バッソを作ってみた。直径15センチほどの、新生児の頭くら
いのサイズだ。するとそれを買う客があった。毎回、作ると売れた。そのうちに、それを
目当てにしてやってくる客も現れるようになり、客に注文されて巨大バッソの生産量が増
えて行った。この巨大バッソをバッソセタンという名前にしたらどうかという客の提案に
したがって、ふたりは屋号まで替えてしまった。

初期のころの商売状況は、平日の売り上げがバッソセタン70個、バッソテニス100個
という売れ行きで、週末はそれが二倍になった。土曜日の夜は狭い店が客であふれ、とて
も落ち着いて食べられる雰囲気ではなかったと初期時代からの常連客は語っている。

バッソセタンは一個でどんぶりをひとつ占領してしまう。それだけだとバッソの名前に恥
じることになるから、どんぶりがもうひとつ付いてくる。そちらにはスープが入り、麺・
ビーフン・モヤシ・白菜などがたっぷり入っている。もし機会があれば、お試しを。
[ 完 ]