「シティ・ヌルバヤ伝説(前)」(2023年02月23日)

ライター: 短編作家、インドネシア言語文学教官、パダン在住、ハリス・エフェンディ
・タハル
ソース: 2007年6月10日付けコンパス紙 "Sitti Nurbaya dan Masyarakat Tidak 
Gemar Membaca" 

パダン市民は河口にある、海に突き出た小さい丘をパダン山と呼んでいる。それは海抜2
百メートルくらいの小丘だから、山と呼ぶにはおこがましい。そこは植民地時代から19
90年代にパダン市当局が禁止するまで、河口一帯に住む住民にとっての公共墓地として
使われてきた。昨今、その墓地の中にマラ・ルスリ著の小説の主役、シティ・ヌルバヤの
墓があるとたくさんの市民が信じている。

その小説がシネトロン化されて20世紀末にテレビ放映されたおかげで、ひとびとの確信
はますます強まっている。港としての機能を果たしてきたその河口の両岸をむすぶ、20
00年代初期に建設された豪華な橋にさえ、シティ・ヌルバヤ橋の名前が付けられた。実
に奇妙な現象だ。モニュメンタルな建造物にはこれまで、国家英雄の名前が奉じられるの
が常だったのだから。


パダン出身文学者マラ・ルスリがはじめて小説の中に登場させた想像上の人物シティ・ヌ
ルバヤを置いて、史上でそれほどまでにパダンと周辺地区一帯のひとびとに、いやヌサン
タラの全域で名前の知られている人物が他にあっただろうか。

インドネシアのモダン文学の中でシティ・ヌルバヤほどの知名度を得た創造人物は多分、
他にいないかもしれない。この人物は今や、かつて生を受けた人間として社会一般が信じ
る存在になったのである。伝説の誕生だ。

バルテス(1981年)によれば、伝説というのはコンセプトでなくて語られるシンボル
なのである。それは昔の決まり・思想・記憶や追想、あるいは確信を伴った決定事項など
に関連するメッセージをもたらすコミュニケーションシステムのひとつなのだ。

つまり伝説とは物でなく、物で表されるシンボルなのである。シティ・ヌルバヤ伝説に関
して社会が確信している昔のならわしの中には、「今はもうシティ・ヌルバヤの時代じゃ
ない」という言葉で描かれるものがある。借金を帳消しにするために年寄りの金貸しに娘
を売りわたす親などもういない、ということがその言葉で表現されている。一方、橋や墓
地がシンボルにされたのはシティ・ヌルバヤが過去に実在したことを象徴する記号論的シ
ンボルなのである。


< 伝説 >
小説シティ・ヌルバヤが文学者マラ・ルスリによって前世紀に書かれた文芸作品であると
いうのに、それが今や伝説になった事実に着目するなら、作者不詳の口承文学であるマリ
ン・クンダン物語とシティ・ヌルバヤが同列に置かれているのではないかという疑問が湧
いてくる。しかしマリン・クンダンは著述文学の伝統がまだ育っていない社会の真っただ
中に生まれたものではないか。

昔のミナンカバウ社会は口承文学の伝統を育てた。その中には節を付けて謡われるカバと
呼ばれる口承民話がたくさん知られている。今日まだ社会の中に生き続けているカバの中
には、愛好者に謡って聞かせるもののほかに、ランダイのような伝統演劇や竹製吹奏楽器
サルエンの伴奏つきで口演されるものもある。

かつて民衆生活の中に生きたカバのほとんどすべては現在、散文詩の形式を維持したもの
からまったくの散文形式のものまでさまざまなバージョンで筆記されたものになっている。
カバ「マリン・クンダン」も例外ではない。


ウマル・ユヌスは自著「カバとミナンカバウの社会システム」(1984年)の中で、カ
バ「マリン・クンダン」は今日、そのような振舞いをしてはいけないという教訓としての
内容だけが残っているものの、そのカバの作者はオリジナル作品の中にもっと哲学的な内
容を盛り込んだかもしれないと推測している。口承性がその結果を招いたのであり、盛り
込んだのかどうか、盛り込まれたものが消えてしまったのかどうかは、今となっては誰に
も知りようのないことがらだ。

文字を持たなかったがゆえに読書の習慣の育たなかった社会で、口承文芸作品であるカバ
に作者が哲学的内容を盛り込んだかどうかを知るのは至難のわざだ。[ 続く ]