「ヌサンタラのドゥリアン(2)」(2023年03月02日)

ドリアンのシーズンが始まると、どこの都市でも近隣の産地から大量の果実が街中に運び
込まれ、たいてい道路脇に山積みされて通行する車が止まるのを待ち受ける光景が見られ
るようになる。いや、そんな露店ばかりか、道路沿いに俄か作りのキオスが並び、売場の
前面に飾られたドリアンが愛好者を手招きするようになる。

道端に山積みされたドリアンを買いに行くと、日本人がスイカを買う時にペタペタ叩いて
反響や感触を調べていたように、インドネシア人も同じようなことをしていた。アヴォガ
ドを選ぶ際にはその実をマラカスのように振り、中の種が動く感触が感じられたならそれ
は完熟しているという見分け方をわたしに教えてくれたひともいる。

ドリアンも、コツコツと外皮を叩いてみたりゆすってみたりして感触を確かめるひとがい
るのだ。内部に振動が起これば、それは果肉が熟して乾燥した結果であることを意味して
おり、その果実は「買い」だという判断を下すらしい。あるいはメロンのように鼻を近づ
けて匂いを嗅いだり、外皮のトゲの鋭さが衰えているかどうか、トゲの間の幅が広がって
いるかどうか、外皮がどのくらい古くなっているか、などを調べるひともいる。


道端のドリアン売りは客が選んだドリアンの味見をさせてくれる。ドリアン売りが端を小
さく割り、客に指を突っ込ませる。部屋の端にある果肉が指に付くから、それを味見する
のである。しかし悪徳商人がいるのは世の常で、未熟果実あるいは甘味の薄い果実のその
部分にかれらは注射針で砂糖溶液を注入しておくのだそうだ。

そんな悪徳ドリアン売りに引っかかったら災難だ。家に持ち帰ってからいざ割り開いてみ
ると、ほとんどすべての部屋の果肉が未熟だったりあるいは低品質のものだったりして、
失望させられる結果になる可能性が高い。

もっとひどいのは、未熟の実を化学薬品に浸して熟させるそうで、この場合は果肉が一見
熟しているように見え、また口当たりも熟れたものの感触を与えるものの、まるで紙を食
っているようで、甘味もなければ味気なさを絵に描いたようなものであるらしい。

満足できるドリアンを見分ける眼力を養うためには、やはり訓練が必要なのだろう。失敗
は成功の母なのだから、母は貴重で尊いものなのである。

だがしかし、時間をかけて美味いドリアンを見分ける精進の道に入るのはとてもじゃない
と考えるひとは、名高いスーパーへ行って単価の高いものを買ってくればよい。値段が高
いのは保証付きを得るための保険料と考えるべきだろう。


道端のドリアン売りから買うときに失敗を防ぐ絶対的な方法がある。先にまず「不味いも
のは買わないぞ」と宣言しておき、ドリアン売りに美味いものを選ばせ、その場で割って
食べるのである。不味いものを差し出して来たら、一口食べて突き返せばよい。それに金
を払う必要はないのだ。

しかし排気ガスに満ちたジャカルタの道路脇でそんなことをしても楽しくない。それはど
こか地方部の、空気の良い田舎で行うべきことだろう。ジャカルタではどうやら、名高い
スーパーで値段の割高なものを買うしかなさそうだ。道理で、ジャカルタの生活は出費が
かさむわけだ。


熱帯地方では何の果実であっても、樹に生っているものが完熟すると、自然に地面に落ち
てくる。だから地面に落ちた実はどの果実でもおいしいものだが、たいていすぐに腐り始
める。樹上で完熟した果実の中には、その果実の全体が熟したときその一部は既に腐りは
じめているというものもあり、そういうものは完熟を待っていてはいけない。その辺りの
見極めが素人にはむつかしい。

ドリアンに関するかぎりはそういうことがないように見える。ドリアンの実は落ちる一週
間くらい前に完熟状態と同じ美味しさになっているそうだ。しかし落ちる日を予知できる
はずがあるまい。とはいえ、落ちた後もそのゴツイ殻のおかげなのだろうか、いつ腐敗が
始まるのか見当もつかない。[ 続く ]