「ヌサンタラのドゥリアン(5)」(2023年03月07日)

そもそもここ数十年くらい前ごろまで、一般消費者が上のようなドリアンの種類に関心を
払うような状況は存在しなかった。林の中に生えているドリアンの樹はさまざまな種類が
混じりあっているのが普通だ。結実シーズンになるとドリアン農民は林に入って落ちてい
る果実を回収してくる。集めてきた果実は仲買人に売られ、トラックで都市部に運ばれ、
街中の道路脇に山積みされる。

消費者は種別名称など意識の外に置いて、manis, enak, pahitなどの好みをドリアン売り
に告げ、ドリアン売りが選別したものを食べていた。種別名称が会話の中に混じった可能
性はあるだろうが、その種別名称の名札を付けて販売されているものなどどこにもない状
況下において、種類の名称はドリアン売りとの会話の中でしか役に立たないものだったの
ではあるまいか。


そんなありさまは今でも基本線で継続しているから、わたしのような昔人間は美味いドリ
アンを食べて感動しても、その種類の名称が何なのかを知り、今後はその種類をひたすら
目指そう、などという気がまったく起こらないのである。苦味混じりの好きなひとはそれ
を言いさえすれば、商品の山の中にある、その特徴を持った種類の品をドリアン売りが探
し出して客に勧める。それで万事平穏無事におさまるということだったのである。

変化が起こったのは多分、園芸の産業化が始まって、園芸作物の商品価値と経済性が種別
選択を不可欠にし、その栽培と繁殖という技術面での開発が進展して、種別の生産が行わ
れる時代に立ち至ったからではないだろうか。人類が到達した進歩の1ページがそれであ
ることに疑いを入れる余地はないのだが、その進歩に自分の行動を沿わせようともしない
わたしは野蛮人と世間から指弾されるかもしれない。


メダンの町中にKedai Ucok Durianがある。メダンで有数の定評あるドリアン売店だ。東
南アジアのこの種の売店はどの国でも似通っていて、そこで売られているドリアンをその
店内のテーブルで食べることができる。

ウチョッドリアン店は一日にドリアンを7〜8千個売るそうで、それが定評を裏書きして
いるように思われる。「ウチョッドリアンでドリアンを食べなければメダンへ行ったと言
うな。」と言うひとがいるくらい、有名な店だそうだ。

クダイはタミール語からムラユ語に入り、インドネシア語のトコの同義語になった。イン
ドネシア語のワルンは小規模なトコを指しているが、厳密な定義付けはないも同然だから、
個人の主観が定義を決めてしまうことになる。昔のクダイウチョッを訪れたひとは、そこ
をワルンと感じただろう。つまりクダイウチョッはワルンだったということだ。だが今で
は立派なトコになっているから、クダイウチョッはトコなのである。
ワルンについての話は拙著「ワルン」をご参照ください。
http://omdoyok.web.fc2.com/Kawan/Kawan-NishiShourou/72Warung.pdf


金曜土曜の夜になると、クダイウチョッは来店客の洪水になる。客のほとんどはメダンと
その周辺一帯にある町々からやってくる地元民だが、ジャカルタをはじめとして遠方から
やってきた観光客もメダンを訪れた実績を作るためにやってくる。来訪客の背景は貴賤貧
富を問わない。週末の来店客数は一日6百人前後、週日は4百人前後にのぼるという話だ。
上に述べた一日の販売個数との関係は、情報ソースが違っているために筆者にもよく分か
らないので、ご容赦ください。

メダンに集まって来るドリアンはシディカラン、バホロッ、シアンタル、デリスルダンな
どで穫れたものだ。シディカランのものは果肉が多く、黄色くて甘い。バホロッのものも
美味さは似たようなものだが味に鋭さがあり、味が鋭いと多食できない。味に鋭さのない
シディカランのものはついつい食べ過ぎてしまうそうだ。[ 続く ]