「ヌサンタラのドゥリアン(6)」(2023年03月08日)

ウチョッと愛称されるザイナル・アビディン氏はこのドリアンビジネスのおかげでトラッ
ク2台と高級乗用車1台、そしてルコと呼ばれる住宅店舗をひとつ持つ地主になっている。

元々かれは貧困家庭の長男に生まれた。小学校は終えたが、中学に進学するのを諦めて家
からほど近いプリンガン市場で荷物運びの仕事を始めた。一日の収入は2千ルピアだった
そうだ。ウチョッという愛称はその市場時代に付けられたものだ。

収入のよくない市場の荷担ぎ人足から、かれはドリアン担ぎ人足に転向した。1980年
代から90年代にかけて、ドリアンシーズンになるとドリアン売りがイスカンダルムダ通
りの両脇にずらりと並んで山積みのドリアンを販売した。トラックで運ばれてきたドリア
ンを下ろして地べたに山積みするのがドリアン担ぎの主な仕事だ。かれの収入が一日1万
ルピアにはねあがった。

雇い主が村落部へドリアンの仕入れに出かけるとき、頻繁にウチョッを連れて行って雑用
をさせた。そのようにしてかれはドリアン売りの世界にどっぷりと浸るようになる。いつ
ごろどの村にどれくらいの生産が起こるかということをかれは熟知した。

自分で商売をやっていけるという目途が立った1995年に、かれはドリアン売りになっ
た。最初は仲買人の商品を委託販売し、一日2百個を売り切った。一日1千個の大台に乗
るまでに、大した期間はかからなかった。


次のステップはトラックを買って自分で産地をまわり、仕入れを行うことだ。トラックを
買うための頭金をひとから借りてトラックを入手し、シディカランの村々へ仕入れに回っ
た。村々の生産者に対してウチョッはドリアンを相場より高く買った。仲買人たちが5千
ルピアで買っているなら、かれは5千5百ルピアで買った。その一方で、仲買人たちとも
良い人間関係を築くことに骨を折った。ウチョッの名前が徐々に生産農民の間で認知され
るようになった。

生産者からドリアンの花が咲いたという連絡が来るようになった。5カ月後にかれはその
生産者の家に買いに行かなければならない。仲買人たちを仲間にしたことで、シディカラ
ン・カロ・プマタンシアンタル・ランカッ・パダンシデンプアン・デリスルダン・スルダ
ンベダガイ・シマルグン・プカンバルにまで広がった仕入先との取引の調整に仲買人の協
力を得ることが可能になり、ウチョッのビジネス戦略は順調に進展した。

毎年3月から5月までは非ドリアンシーズンとされている。ところがウチョッにとって非
ドリアンシーズンなど存在しない。村落部の実態に密着したかれには、毎日どこかでドリ
アンの実が生っていることがよく分かっているのだ。そのどこかを見つけ出せば、ドリア
ンは一年中手に入ることになる。ドリアンの季節性を乗り越えることができるのである。

生産者たちと仲買人たちがウチョッの戦略実現に大きい役割を果たした。メダンのドリア
ン販売店が季節外れを理由にしてシャッターを下ろしていても、クダイウチョッはドリア
ンを切らしたことがない。


クダイウチョッでは、出されたドリアンが客の気に入らない場合、別のものと交換してく
れる。今では、メダンのクダイドリアンはほとんどそのシステムに倣っている。しかし、
一度割り開いたらそのドリアンを別の客に売ることができない。ウチョッはそのためにケ
ーキ生産者やドリアンを使うおやつ類を客に供する食事ワルンとビジネス関係を作ってい
て、客が拒んだドリアンはそちらに流されるのである。

クダイウチョッは遠方から来た客がドリアンを土産に持ち帰ることにも手を貸してくれる。
航空会社はドリアンの持ち込みを拒んでいて、いくらトランクに入れても臭いが漏れたら
アウトになるから、ドリアンを持ち帰るのは困難だ。しかしウチョッの店はあくまでも客
の希望を満たすように協力してくれる心強い味方なのである。

ドリアンを開いて中身を取り出し、それをプラスチック容器にいれて密閉する。更にドリ
アン臭を隠すためにパンダン葉やコーヒーを容器と一緒にプラ袋に詰めてから再度密閉す
るのである。そこまでしてくれたら、空港にどんな鼻利きがいても見つけられて没収され
ることはないだろう。[ 続く ]