「ヌサンタラのドゥリアン(8)」(2023年03月10日)

ランプンもドリアンの産地として有名だ。ランプン産ドリアンの筆頭はPutra Alamだが、
その名前にこだわるひとは、販売者も消費者もあまりいなくなっているという話だ。それ
だけが群を抜いて美味いものだった時代は終わったということかもしれない。美味いドリ
アンであれば、その種名にこだわる必要はないのだろう。

ランプンの美味いドリアンを求めて、ジャワ島からたくさんの車がスンダ海峡を渡って来
る。ジャカルタ・ボゴール・タングラン・バンドンなどのナンバープレートがランプンの
あちこちのドリアン販売センターに集まって来る。

ランプンのドリアンシーズンは11月から4月までだ。しかし5月から10月までの時期
であっても、販売センターにはドリアンがある。その時期のドリアンはランプン州北部の
コタアグンやブンクル産のものになる。ランプン産の美味いドリアンを求めるのなら、1
1月〜4月を忘れてはならない、とランプンのドリアン販売者は語っている。

雨季の雨量がランプン産ドリアンの生産量を決める。雨が多いとドリアンの花が落ちてし
まうために生産量が減る。そうなるとシーズンは4月まで続かなくなる。反対に雨季の雨
量が少ないと、ドリアンの大収穫が起こる。


バンテン州のドリアン産地はパンデグラン県ガヤムやセラン県のバロスが有名だ。大収穫
期は10月ごろに始まる。収穫が始まると、初期の産物はジャカルタに送られる。地元よ
りもジャカルタの方が消費規模も大きいので、初物が出始めたときにジャカルタに持ち込
めば回転の速さは大違いになる。


ボゴールが昔はジャカルタのドリアン消費を支える源泉だった。1960年代にはボゴー
ル産優良種の名前が全国に鳴り響いていた。スカルノ大統領はボゴール産のsimasが好物
だったと言われている。

しかしジャカルタの首都インフラの拡張に伴ってジャボデタベッが首都圏を形成するよう
になり、ボゴールの農業用地は直接的な生活用途に転換されて行った。インドネシア初の
自動車専用道路であるジャゴラウィ自動車道が開通して間もないころは、それでもドリア
ンシーズンになると道路脇に果実を山積みしてドリアン売りが商売を始め、通りかかる自
動車の中に路肩に駐車して品定めを行う車が何台も並んだものだ。

ジャゴラウィ自動車道のおかげでジャカルタへの通勤圏がボゴール方面に広がると、住宅
地区の開発が続々と始められて、農地の減少が加速した。それやこれやで、ジャカルタ都
民にとってドリアンボゴールという言葉を耳にする機会は減少の一途をたどった。

パルン〜デポッ、チルンシ〜ジョンゴル、チパク〜ランチャマヤ、スカラジャ〜チマパル
など1980年代に有名だったドリアン生産センターは高級住宅地区・大衆住宅地区・工
業団地・ゴルフ場などに変わってしまった。そのような森林から生活用途への転換は、自
然を残すという発想が欠如したまま進められた。貴重種のドリアン樹もなにもおかまいな
しに、樹という樹はどんどん伐採されていったのだ。チパクにはシバクル・ドドル・ラン
ボウ、パルンにはムンテガ・ライマス、チオマスにはアジマなどの優良種があった。アジ
マはスカルノ大統領お好みの種類のひとつだった。

貴重種の苗をたくさん育てた上で元の樹を伐採するべきだった、その苗で農園を作れば貴
重種の大量生産が後で可能になったのだが、そんなことは少しもかえりみられなかった。
かつてのドリアン一大産地だったボゴールから、そのようにしてドリアンの影が消えて行
った。と有識者のひとりはボゴールドリアンの歴史をそう物語っている。

ボゴール市南部地区・チアウィ・チャリギン・チジュルッ・チゴンボンなどがいまでもド
リアンボゴールの産地をなしている。中でもランチャマヤはピンク・マス・アスパンなど
の優良種を産する土地であり、農業省は1984年にランチャマヤのマス別名シマス種を
全国優良種認定している。[ 続く ]