「内観(前)」(2023年03月30日) ライター: バリ言語文学研究者、スギ・ラヌス ソース: 2010年11月6日付けコンパス紙 "Mawas Diri" ヌサンタラのローカルウィズダムに由来するmawas diri(内観)とは、われわれが災害や 災厄を避けて暮らしを営むためのガイダンスだ。マワスという言葉は古ジャワ語で明瞭・ 明るい・目に見えるを意味するwasに由来し、「はっきり聞く」や「はっきり見る」とい う暗意がその語に付随している。だからマワスとは詳しくはっきり見たり聞いたりして理 解に達し、あるいはwawasanを持つにいたることを意味している。ワワサンとは見解や視 野、あるいは観察力や洞察力のことだ。 awasに由来するwaspadaという姿勢がマワスディリの基盤に置かれる。awasもwaspadaもwas から派生した単語だ。常に目や意識を働かせて精神が醒めている状態に自分を置くことが アワスであり、それは同時に自分の生きる道を明晰に見つめている姿をも示すものになっ ている。アワスはバリ語でiwasと言い、iwasinはインドネシア語でawasi, perhatikan, jagaを意味している。 was+padaはもっと解りやすい実用ガイドだろう。その対象に対して足(pada)の動きに注目 したり注意を向ける(was)が合体したものだ。was=lihat, pada=kakiなのだ。[訳注:ジ ャワ語・バリ語でpadaは足の意味を持っている] padaは他にもtanah, bumi, duniaの意味を有している。だからwaspadaという言葉には、 注意深く行動する、注意深く歩を進める、振舞いにおいて無思慮に足を動かさないなどの 含意が付随しているのに加えて、更には地上や天然界の現象に対してより注意深くなるこ とにまでその意味は広がる。 waswasはmawasと正反対の意味になっている。この語形成プロセスのよってきたるところ を分析するなら、この語にmenoleh-noleh(ke belakang)との同義性を感じることだろう。 wawasanの不在あるいは自分に起こったできごとが理解できない結果、不安で落ち着かず、 何かに後ろからからみつかれているように感じたり、あるいは先行きが読めないといった 心理状態を示すのがこのワスワスだ。ワスワスはワワサンによって癒される。ワワサンを 持つことによってワスワスの感覚を小さくすることができるのである。 pengawasan, diawasi, mengawasiなどはwasを語源にするawasの変化形だ。pengawasanと いう言葉はオルバ期にmelekatと組み合わされてwaskat (pengawasan melekat)という新語 が作られた。国家にとっての危険分子や国家を損なおうとする人間を集中的に観察してそ の挙動を見張る国家プロジェクトがワスカッだった。 < 災害に対するマワス > 何かを観測する役所や機関はsistem pengawasanが必要になる。物理的にその機関はmenara pengawasを構築する必要に迫られる。 現代のような天災時代には、われわれはマワス集団になる必要がある。国家統治者と国民 は一丸となってマワスディリを行わなければならない。火山の噴火や津波の発生などとい った自然災害の危険ポイントに対してpengawasanを向けるのである。しかも並大抵を超え るワスカッレベルの集中力で。それらの危険ポイントにはmenara pengawasを構築し、き びきびした観測員を配置するのだ。 観測所長と観測員にはマワス・アワス・ワスパダが求められるばかりか、十分な学問知識 に支えられたワワサンを持たせることも急務になる。なぜなら、かれらの職務は数千もの、 いや数百万もの人間の生命にかかわるものなのだから。 ある場所で地震が起これば、そのために設けられている観測チームは即座に動きを開始し なければならない。観測員はその社会の統率者やキーパースンと連絡を取り合い、得られ た情報を住民社会のすべてのネットワークに流して社会全体のワスパダを上昇させるので ある。[ 続く ]