「ヌサンタラのドゥリアン(終)」(2023年03月31日)

keripik biji durian
ドリアンの種も茹でたり焼いたりして食べることができる。生だと毒性があるので食べて
はいけないが、kolak durianのように熱を加えるのであれば、そこに入っている種を食べ
ても大丈夫だ。

ドリアンの種はクリピッにもなる。keripikとは食材を薄切りにして油でカラカラに揚げ
たもの。これを作る場合はまず、ドリアンの果肉を食べ終わったら、種にへばり付いてい
る果肉の残りをこそぎ落す。種の茶色い皮をむく人もいるし、むかない人もいるようだ。
その種を塩水に一晩漬けておく。

翌日その種を薄く切って1〜2時間放置する。そして油に浸して揚げる。油を切り、冷ま
して供する。

ドリアンの樹にできる若芽、花冠、若い実などを野菜として調理し、飯のおかずにするこ
ともある。
 

ドリアンが歌詞の中に使われているヌサンタラの歌曲の中では多分、アンボンローカル歌
謡のHuhateが一番有名なのではあるまいか。歌詞にアンボン語が取り混ぜられていて、バ
ージョンによって多い少ないがある。わたしがインドネシアで若僧時代に覚えた歌詞には、
最後の車と若者を対比させたヴァースがあったが、今ネット内で調べたかぎりでは、この
ヴァースを使っているものはひとつもなかった。

他にもドリアンを女性に見立てているダンドゥッ曲がある。女性は高貴で高価なドリアン
のようなものということなのだろうか?ところが歌詞をよく聞くと、男性はキュウリに例
えられていて、こりゃいったい何の話なんだろうかという不審に襲われる。興味のある方
はメギー・ザカリアの持ち歌Ketimun dan Durianをお聞きください。

ムラユの俗諺にseperti mentimun dengan durianというものがあり、まるで歯が立たない
ものを相手にするたとえを示しているのだが、男のわたしはしがないキュウリ、まだ若く
て愛くるしい女のおまえはドリアン、という言い方がなされると、凡俗のわたしの空想は
あらぬかなたに拡散して行くのである。

それでは陽気にフハテを唄いながら、本稿を閉じることにいたしましょう。

HUHATE

Orang muda huhate bae bae
Jangan sampai dapat kulit durian
Pakai mata telinga kalau mencari teman
Jangan sampai dapat kulit durian

Orang muda huhate bae bae
Jangan sampai dapat kulit durian
Pakai mata telinga kalau mencari teman
Jangan sampai dapat kulit durian

Huhate huhate huhate bae bae
Jangan sampai sembarang orang lah tagai
Sioh jangan, sioh jangan, jangan paripi
Kulit durian sio baduri

Sungguh bagus kereta itu
belum ditarik jalan sendiri
Sungguh bagus mungare itu
belum dipanggil datang sendiri

アンボン語 = インドネシア語
huhate = memancing
bae bae = hati-hati
tagai = dapat
sioh = wahai, aduh
paripi = tergesa-gesa
baduri = berduri
mungare = pemuda
[ 完 ]