「ポンティアナッ(1)」(2023年04月03日) カリマンタン島西岸のほぼ中央にこの島でもっとも長いカプアス河の流れ込む河口があっ て、広大なデルタ地帯ができている。カプアス河の支流であるランダッ河の南部デルタに カプアス河の別の支流が水路をうがち、肥沃で水の豊富なこのデルタ地帯には背の高い巨 木がうっそうと茂って密林をなしていた。 Pontianakスルタン国初代スルタンのシャリフ・アブドゥラッマン・アルカドリがその森 林を切り開いて王都を作った。西カリマンタン州都ポンティアナッの街は西暦1771年 10月23日に誕生した。シャリフ・アルカドリはそのとき、41歳前後だったようだ。 かれの父親アルハビブ・フシンはハドラマウトから来たイスラム布教者で、予言者ムハン マッの血を引くと言われている。母親は多分ヌサンタラのプリブミであり、このスルタン はアラブプラナカンだったにちがいあるまい。 その年、父親が没したのでかれと兄弟そして一家に従う民衆が新しい土地に移るため14 隻のカカップ船に乗って旅立った。カカップ船とはムラユの帆船で、海岸や狭い川の航行 に適した設計になっている。このカカップというムラユ語は偵察やパトロールを意味して おり、ムラユ人はこの船を軍事用途あるいは貨物運送用途に使っていた。一方カリマタ海 峡から南シナ海南部にかけての地域で海賊の別名になっている、南フィリピン出身の海洋 人種であるイラヌン人別名ラヌン人はこのタイプの船を海賊仕事の補助用船舶として使っ ていた。 一行は午後の礼拝時間に岬に上陸し、その土地の様子を調べた。その岬はいま、タンジュ ンドホルと呼ばれている。定住するにはあまりよくない土地であることがわかったので、 一行はまた旅立った。カプアス河を下って、いまバトゥラヤンという名前になっている島 にたどり着いた。そのときから、カプアス河の周囲を埋めつくしている密林がざわめき始 めたのである。得体の知れない者どもが不穏な雰囲気を漂わせている。 うっそうたる密林の奥の方から声とも音ともわからない怖ろしげな物音が聞こえてきた。 大勢の者が神経をいらだたせ、あるいは怯えた。「ありゃあpuntianakだ」。怯えるひと びとはそう語った。 一行は、デルタ地帯に出てから王宮の建設地を定めるために野営して地勢の調査を行った。 ところが、密林の奥の方から聞こえてくるざわめきは収まる気配がない。怯える者たちは 仕事が手に付かなかった。 アニミズム社会の観念に従えば、霊は高い木にとまる。beringinの巨木は諸霊が宿るため の受け皿だ。ヌサンタラのどの土地に行こうが、ブリ~ギンの樹に障りを起こさないよう に努めている地元民の姿は共通のものになっている。障りを起こせば悪いことが起こるの である。puntiというのは背の高い木を意味しているそうだ。そこに宿る霊をひとびとは プンティアナッと呼んだかもしれない。 これからスルタンになろうというシャリフ・アルカドリは、その不穏な者どもを追い払う ために大砲を三発、密林の中めがけて撃たせた。効果はたちどころに表れた。怖ろしげな 音はピタリとやんだのである。 シャリフ・アルカドリは砲弾の落ちた地点を探させて、そのそれぞれの場所に王宮、大モ スク、王家の墓地を作らせた。この王都の命名を行うにあたって、初代スルタンはポンテ ィアナッの名称を選択した。この町が持った奇妙な名称の由来譚がこれである。 しかしポンティアナッスルタン国の建国説話に出てくるポンティアナッというのは、カリ マタ海峡から南シナ海一帯を古い昔から荒らしまわっていた海賊たちだったという分析も なされている。一部の海賊がそのデルタ地帯の密林を隠れ場所にしており、そこを開拓し にやってきたひとびとを追い払うために悪霊を装って脅かしたものの、反対に大砲を撃ち 込まれてかれらのほうが逃げ出したというのが真相だったのかもしれない。[ 続く ]