「ポリガミ」(2023年04月06日)

ライター: 言語オブザーバー、サムスディン・ブルリアン
ソース: 2006年12月15日付けコンパス紙 "Poligami" 

昨今poligamiへの断罪が喧しいのは言うまでもなく、英雄ムニル殺害容疑から最近解放さ
れたPollycarpusの罪ではない。字義上でその両者を悪徳に関連付けることができるとし
てもだ。ポリカルプスは最初の世紀にキリスト教界に登場した殉教者の名前であり、逐語
的には「多くの実」を意味している。一方、ポリガミは「多くの結婚」の意味だ。

もうちょっと真面目に言うなら、すべての罪はオキシトシンとバソプレッシンというふた
つのホルモンの脳内受容器官の不在に帰することができる。カップルの相手を変えないで
いつまでも配偶者に忠実な野ネズミのひとつを研究した科学者は、上記ふたつのホルモン
の受容器官に障害が起きると即座に相手を変えまくることを発見した。一方、受容器官を
持たないで生まれた個体は、その二種のホルモンを満杯になるまで注入しても相手を変え
まくるのである。つまり生物学が教えているのは、ポリガミをエンジョイする者がおり、
そしてモノガミに快適さを抱く者もいるということなのだ。

受容器官の有無は遺伝子次第だ。人間の場合であれば、受容器官の数がひとによって違う。
ひとりだけの相手に忠実で、幸福な家庭を築くために嵐の中で手に手を取り合って死んで
もよいという者もいるし、あっちこっちに出まかせを言って良い顔をし、新しいセンセー
ションを求めて雄のテストステロンと艶っぽい流し目にあふれる海を渡る者もいる。この
ビヘイビアの社会的な形はコミュニティのお好みに従うことになる。


ポリガミストを監獄に送り込む社会では、アップトゥデートの恋愛追及者はいとも簡単に
右に左にと不倫を行う。つまり「こっちも良いしそっちも好きだ」という乱交と呼ばれる
ものだ。結婚関係の外で起こるロマンチックな男女関係を否定する社会でポリガミーは高
くつく対応策になる。その両方を徹底的に拒否する社会では、売春が比較的安価な対策に
なっている。それすら拒否する社会となると、セックス用途の奴隷というのを対応策にせ
ざるをえまい。奴隷は人間と見なされないのだから。

ポリガミというのは、複数の婚姻した妻を持つということだけを意味しているのではない。
男も女もそれぞれがポリガミを行って複数の婚姻した妻や夫を持つのがその意味するとこ
ろである。ひとりの男が婚姻をたくさん行って複数の妻を持つのはpoliginiであり、ひと
りの女が婚姻をたくさん行って複数の夫を持つのはpoliandriなのだ。

人間の社会史においてはポリギニの方がポリアンドリより高い傾向で受け入れられてきた。
これは男が若さや美しさに容易に引き付けられるのに対して女は金銭・教育・社会ステー
タスに心惹かれるという、男女それぞれの天性の違いのせいだろう。長持ちしない滑らか
な肌と曲線美を求めて、男はポリギニの制度を設けた。反対に金銭や権力は一生ものだか
ら、女にとってポリアンドリはそれほど差し迫ったものにならなかった。


男女平等のためにどうすればよいだろうか?支持者も反対者もポリガミという言葉をよく
使うわりには、完璧な定義がなされていない。平等公平という面から見るなら、ポリギニ
が許されるのならポリアンドリも許されるべきではないか。モノガミが男にも女にも「婚
姻相手の妻あるいは夫はひとりだけ」になっているのだから、そこに男女間の違いはない
のだ。bigamiならば「婚姻相手の妻あるいは夫はふたりだけ」という男女共通の条件にな
る。ポリアンドリが禁止されるのなら、ポリギニも禁止されて当然ではないか。

女の地位が男と同等になった社会においては、ポリガミにおける公平さという御者の議論
は人間社会のポリガミ制度が公平かどうかという命題に意味をもたらさない。