「1950年代のジャワ人(2)」(2023年04月10日)

夜の室内はむっとする暑さだ。インドネシアのホテル客室は必ずと言っていいほど小さい
テラスが付いているから、夫妻はできるかぎりテラスで時を過ごそうとした。チチャが壁
を這いまわり、電球にとりついて飽食する姿を眺めるばかり。かれらの餌はあふれるほど
あり、光がチチャの腹を透かしてその生き物の消化プロセスを垣間見せてくれる。しかし
蚊の大群と落下してくるチチャに追われて、ふたりの夕涼みは長続きしなかった。

客室内には薄汚れたベージュの蚊帳の掛かっている鉄製ベッドが5つも置かれてごみごみ
しており、格式の似合わない扇風機がうなりをあげて一定周期できしんだ。夫妻は文明世
界から隔絶した土地に打ち捨てられたかのような感傷を抱いたかもしれない。インドネシ
ア初夜の眠りは浅かったようだ。

夜明け前のモーニングコールを、かれは救いの神のように感じた。かれにとってのジャカ
ルタはそれで終わるのだから。ジャカルタの夜明けは午前6時ごろやってきた。一年中た
いした変化のない、単調な一日の始まりだ。


太陽の上昇は急速で、鉄道駅に向かう車がホテルを出たときは既に燦々たる陽光の中にい
た。路上の交通は賑わっており、道路の向こう側にある狭い運河は人間でそれ以上に混雑
している。濁った水をたたえた狭い運河はアムステルダムの優雅な運河とまるで較べもの
にならない。どこの土地に住もうがオランダ人が運河を掘りたがるのは、きっとノスタル
ジアのなせる業なのだろう。しかし熱帯のマラリアの巣窟でノスタルジアを働かせたのは
誤った分別だったようだ。

周辺地域を埋め尽くすスラムに住んでいるインドネシア人にとっては、何はともあれこの
給水施設はありがたいものであり、またかれらの生活に必要不可欠なものになっていた。
やせて褐色の肌をしている雑多な世代の人間が濃く濁った水をかき混ぜている。素裸の幼
児、サロン姿の少年、慎ましやかに下着姿で水に浸かる女性、かれらのひとりひとりが水
を使う用をたし、少年たちはそれが終われば水に戯れるだけ。その用とは水浴・歯磨き・
排泄、そして衣類の洗濯。

ヨーロッパ人医師はインドネシア人の性格をこう物語った。かれらは洗濯中毒だ。かれら
は個々の人間の清潔さに関して強い感受性を持っているものの、衛生観念はまったく欠如
している。


ほぼ13時間かかる汽車の旅が始まった。一等車はゆったりした快適な車内になっていて、
最初は清潔だった。ところが、汽車が動き出したとたんにぶち壊しになった。炭水車には
薪が山のように積まれ、機関車はその薪を燃やして走るから、窓を開けていると煤煙に襲
われる。始末に悪い薪の煤煙なのだ。白服を着ていれば無事では済まない。かと言って、
窓を閉めると生きたまま茹でられる。

このジレンマがインドネシアの自然を観賞しようという夫妻の意欲を減殺してしまった。
はじめて目にするジャワ島北岸のエキゾチックな風景も、たいした感動をふたりに与えな
かったようだ。ジャカルタの浅い眠りを取り返したかったふたりは、それすら走るオーブ
ンがもたらした喉の渇きに邪魔された。

列車は食堂車をつないでいたが、ジャカルタでだれもが「使うな」と忠告したため、サン
ドイッチを昼食用に持って来た。オランダ人は武装襲撃のリスクを強調して汽車に乗るな
と勧め、アメリカ人は氷がインドネシアでの生活における大きなリスクなのだから汽車に
乗ったら食堂車を使うなと忠告したようだ。「煮沸されたものでない限り、インドネシア
では絶対に水を飲まないように。そして出される氷を絶対に受け入れてはならない。そん
なことをしようものなら、必ず赤痢にやられる」。

喉の渇きは頂点に達した。聞くと、瓶入りビールを席まで取り寄せることができるそうだ。
瓶入りならきっと安全だろう。ふたりは車掌にビールを頼んだ。ところが、届けられたビ
ールの瓶は室温だった。そしてふたつのグラスの中には大きな氷塊が鎮座している。

ふたりは決意して、赤痢のリスクに挑戦した。そしてそれ以来ジャワ島のどこへ行こうが、
水も氷もふたりの敵でなくなった。[ 続く ]