「ヌサンタラのサンバル(3)」(2023年04月12日)

歴史的に見るなら、サンバルとは元来がジャワ語であり、食事の味覚を豊かにするための
味わいを添える薬味ソースがそう呼ばれた。古ジャワ語のsambelとはすりつぶしてペース
ト状にすることを意味する動詞だそうだ。

西暦紀元10世紀ごろには、cabya jawa別名cabe puyang、lada、jaheなどを使ってトウ
ガラシ渡来前のサンバルが作られていたとイ_ア語ウィキペディアに説明されている。ト
ウガラシ伝来前の時代からインドネシア人はすでに、辣いサンバルを常用していたにちが
いあるまい。

VOC時代にもサンバルはヌサンタラに住む西洋人の間で重要な位置を占めた。ヌサンタ
ラにやってきた白人トアンたちはプリブミ女をニャイにして家庭を持ち、多数の奴隷に家
事を行わせた。フィクトル・イドVictor Idoの歴史小説には、サンバル作り上手の女奴隷
が特別の価値を持っていたことが描かれている。

美味いサンバルを作る女奴隷は奴隷市で高値が付き、また白人トアンがパーティを開くと
きも数十人から百人近い奴隷たちの中のサンバル作り女奴隷だけが呼ばれて、トアンとニ
ョニャが計画するパーティ内容の詳細に関する相談にあずかった。そのパーティの中でサ
ンバルをどのように客にふるまい、賞味してもらってサンバルの美味さを堪能させ、その
パーティのすばらしさをいかに印象深く客の記憶に刻み込ませるか、という技術的な問題
が相談されたのだろう。多分サンバルの演出にからんで、パーティ会場の家具の配置や飾
りつけに影響が及ぶことが起こったかもしれない。

白人トアンたちはサンバル作りに優れた能力を持つそのような女奴隷があたかも美術工芸
品の精華ででもあるかのように扱い、それが自分の所有物であるという誇りを社交界や世
間一般に見せびらかすのを常としていた。


トウガラシが辣いのは茎と種に含まれているカプサイシンという油精分が原因だそうで、
もしもそれに打ちのめされたときには、水を飲んだり、水に全身を浸したりしてもあまり
効果がない。カプサイシンが口内の痛覚受容器官に働きかけて辣感覚を脳内に発生させる
のだから、カプサイシンを牛乳やヨーグルトに溶かし込んでやるか、あるいはパンや飯や
クルプッを口の中で咀嚼してそこに移してやるのがもっとも手軽な対策だと言うひともあ
る。わたし自身はまだそれを試していない。

人間の脳は痛覚がある限度を超えると防衛反応を起こして、快楽ホルモンであるエンドー
フィンの分泌を促すそうだ。痛みや苦しみの果てに快楽があるのは人間の生理的原理なの
だろう。そのとき辣味が、トウガラシが、一種の麻薬に変わると思うのはわたしだけだろ
うか。辣味追及者たちはみんな疑似薬中かもしれない。


トウガラシのインドネシア語はcabai(cabe)であり、トウガラシの原産地は中南米でポル
トガル人が15世紀にアジアに持って来たというのが定説になっている一方、サンスクリ
ット語に由来するチャベという言葉は10世紀ごろにインドネシアで書かれたラマヤナ物
語や古代碑文の中に見つかっている。するとトウガラシはポルトガル人以前にインドネシ
アにあったのかという疑問につながって行く。しかしこの疑問は、言葉だけを見て現物を
見ないアンバランス精神が引き起こしている可能性が感じられるのだ。

元々チャベという言葉はインド原産のコショウを指して使われていたものであり、チャベ
という言葉がポルトガル人到来前にインドから東南アジア一帯にかけて流通していたのは
決して不思議なことではないように思われる。

つまりトウガラシが到来してからチャベという言葉が従来と異なるものを指すように人間
が変化させた可能性を忘れると、言葉だけが独り歩きして訳の分からない状態に陥り、史
的事実を否定する振舞いに至るかもしれないということなのである。言葉は生まれてから
今日まで同一の意味・定義や語感が一貫性を持って続いていたという言語観はとても危な
くて見ていられない。ジョヨボヨ王予言のjagungと同じような話だ。

トウガラシの名称に関する考察は昔、「辣味求真」というタイトルでジェイピープルに掲
載していただいたことがある。興味のある方は下をご参照ください。
http://indojoho.ciao.jp/archives/library014.html
[ 続く ]