「1950年代のジャワ人(5)」(2023年04月13日)

訪問者を迎えたなら、その訪問者が帰ろうと思うまでもてなして相手をするのがホストの
務めなのだ。たとえ忙しかったり、何かの急用ができても、その訪問者をもてなすことが
優先される。だから約束の時間にどんなに遅れようとも、「お客があった」という言葉が
必ず受け入れられる言い訳になることを、しばらくしてかれは知った。

その家の主人あるいは女主人が現れると、10分ほど月並みな話題でおしゃべりする。礼
儀深いひとは来訪の目的をすぐに切り出したりしない。そのころに熱いお茶と菓子が供さ
れる。主人が「どうぞ」と言うまで、それに手を触れてはならない。茶が十分冷めたころ
を見計らって主人が「どうぞ」と言う。そのとき初めて茶を少し飲む。茶はゆっくり飲み、
菓子も必ず一部が残るようにする。それがジャワ式の礼儀作法にかなったふるまいなのだ。
お互いにそれを守らなければ失礼になる。社会交際のための訪問は、軽々しく行うもので
はない。


ヴィクトリア朝風の柔らかい声、伏し目がちな目線、手をたたみ、常に微笑みを浮かべて
いるジャワ人。かれらは大声で笑うことを下品としているため、神経質で空虚なクスクス
笑いがおしゃべりの合間を満たすことになる。

ジャワ人は作法の自覚が高い。村人の中で見識ある人物という評価を行うための精巧なコ
ードオブデリカシーが文化の中に構築されている。バナナ葉から手づかみで飯を食う農民
ですら、良い手である右手だけを使い、左手は曲げた肘を支えるだけ。何をつかむにして
も、常に必ず右手が第一優先される。

指で何かを指し示すときは、右手の親指が使われる。他の指では失礼に当たるのだ。他人
の前を通るときは身を低くして通行するのが礼儀になっている。あるとき演舞場で通路の
下の段にかれが座っていると、かれの目の高さより身を低くして前を通ることができない
ため、通りたいひとびとが通れなくなって、大混雑が起こってしまった。

年長者は貧富と無関係に尊敬される。何かの集まりに年長者が混じると年長者への尊敬を
みんなが示そうとし、フォーマルエチケットが要求されることになる。スピーチの形式も
実に注意深く構成されている。

形式を価値の判断基準に使おうとするその形式主義の結果、外国人に相対したとき、自分
が知らずにマナーに外れたことをして笑われるのを心配して、ジャワ人は相手のマナーを
知りたいという欲求を強める。ジャワ人は天然的な礼儀正しさを持っているにも関わらず、
外面的な形式をあまりにも意識しすぎるために、かれらは自分のマナーに劣等感を抱いて
いるように見える。


知人友人隣人たちの親切にお返しをしようと考えて、あるとき夫妻はビュッフェパーティ
を計画した。そして招待状を数日前に各相手に届けたのだが、皆さんをおもてなししたい
という目的を書いたところ、不審の念を持たれてしまった。ここでは、招待状は開始の数
時間前か、さもなければ終わったあとで届くものなのであり、あまりにも早く届いたこと
も相手の不審をかきたてた。

ジャワ文化では、人を招いて宴を張る目的は誕生・命名・割礼・初潮・結婚・死・追悼な
どのためのスラマタンが常識的な道理になっていて、そうでない場合は容易に相手を納得
させることの困難なものになる。

ジャワ人ももちろん大勢が集まってスラマタンでないパーティを行うが、それは大家族の
絆を強めるための祝祭事なのだ。家族としての縁を持たないひとびとの集まる社会的な交
際としてのパーティを一介の市民が行うことはかれらの常識を外れたものだった。
[ 続く ]