「1950年代のジャワ人(6)」(2023年04月14日)

イスラムにおける結婚はふたりが神の前で行う誓いよりもむしろ法的契約の性質が濃く、
花嫁の父と花婿との間で諸条件の合意を確認することのほうに儀式の焦点が置かれる。
エジプトのピラミッドのふもとにある村の結婚式で花嫁の姿を目にすることはなかったが、
同じムスリマとしての法的地位は他国の姉妹と違わないというのに、ジャワの花嫁はベー
ルの陰に身を隠さず、自分のもっとも偉大なる日の主役を演じ、その役割を心から楽しん
でいる。

昔、娘たちは子供時代が終わると結婚の日まで深窓に隠され、親が選んだ相手に嫁ぐこと
を強いられた。その義務と自分が見つけた愛のはざまの葛藤が初期インドネシア文学のメ
インテーマになっていた。今(50年代)のインドネシアでは、青年男女は自由に出会い、
親の許諾を得る前に約束を交わすのが普通だ。しかし結婚とその儀式は親がアレンジする
ものであり、親の同意なしに法的な結婚が行われることはありえない。

RAカルティ二を信奉する娘たちはモノガミーやその他の女性の権利を主張し、第一妻の
同意なく第二妻を娶った場合は第一妻の離婚要求を認めなければならないという条項をは
じめ、総数十ヵ条の結婚憲章を作った。1955年7月にジャカルタ市長の娘が行った結
婚式で結婚憲章に従った契約がなされ、それが実践例の第一号になった。

一方、国民のアイドルだったスカルノ大統領が1953年にハルティ二を第二夫人に持っ
たことがカルティ二の娘たちを失望させた。スカルノの言動はかれがフェミニストである
ことを知識層女性に印象付けていたのだが、女性たちは裏切られたと感じたそうだ。


妻に子供ができないとき、よその家の新生児の衣服を誰にも知られないようにこっそり盗
んできて妻に持たせると妊娠すると言われている。ある婦人が嫁を身ごもらせたいので、
とあるカンプンの一軒に吊り下げられていた干し物の中から赤ちゃんベストを失敬し、ハ
ンドバッグの中にしまって帰宅した。ところがついうっかりして、そのベストのことを忘
れてしまったのだ。ベストはずっとその婦人のハンドバッグの中に入ったままになった。
そして何が起こったか?その姑の婦人、ご本人が妊娠したのである。


ジャワのカレンダーは5つの市日とインターナショナルな七曜が組み合わされた35日サ
イクルになっている。曜日に数字が与えられて各組合せ日は異なる合計数を持ち、その数
に従って吉凶が判断される。ジャワ人にとっては何月何日という誕生日よりも、35日サ
イクルの誕生曜日が重要なため、35日ごとに祝い事を行う。その結果、誕生曜日祝いは
年間で十回くらい行われる。


赤ちゃんの命名は誕生後七日目にスラマタンを行ってコミュニティに知らせる。スラマタ
ンでは近所一円の子供たちをもてなして、赤ちゃんの名前をかれらの親に伝えさせる。庶
民の赤ちゃんはたいてい一語の名前をもらい、結婚するまでそれが使われる。大病したり
すると、悪霊に別の子供だと思わせるために名前を変える。

親が大病すると、その子が災厄を持って来たと考えて子供を親戚のだれかの家の子供にし
てしまう。だから親戚の子供をやったりもらったりするのが普通なので、生んだ子供と生
みの親という関係に拘泥せず、子供は親族一同の子供として扱われるようになる。血縁に
よる差別はあまり起こらず、平等に愛情が注がれる傾向が強い。

ジャワ人の社会慣習として姓を持たないことがその現象を成り立ちやすくしているようだ。
本人名は一語であり、必要に応じて父親の本人名を疑似姓のように使い、自分の名前の後
に付ける。

結婚したら、5日後に子供用の名前は捨てられ、親の名前を混ぜた、長く複雑な名前をも
らう。公職者や宮廷人は地位や職務が変わると本人の名前も変わる。博物館の館長になっ
た人が名前を変えたので、その妻の夫は違う名前になった。その奥さんの外国人の友人た
ちは、奥さんの夫がこれまで知らなかった名前に変わっているため、再婚したのだと思っ
て結婚の祝辞を述べたそうだ。[ 続く ]