「1950年代のジャワ人(8)」(2023年04月18日) 三日目の夜に最初の追悼式が行われ、そのあと七日・四十日・百日・一年・二年・一千日 と追悼式は合計7回行われる。費用の余裕のない家でも最低二回は行わないと後ろ指を指 されかねない。一千日目の追悼は欠かすことができないとされている。 死者の霊は死んだあと三日間家の中にいるので、その間は床を掃いたり熱湯を地面に捨て たりしてはいけない。そんなことをすると霊が怪我をして怒り出すからだ。 霊は七日目まで庭をさまよい、四十日までは家の近所をさまよう。そのあとはときどき地 上にやってくるようになる。一千日が経過すると霊は完全に霊界に去って、この世と離別 する。だから一千日目の追悼は大切なのであり、それまで数回行われる追悼儀式とは段違 いの重要性を帯びている。 連れ合いを亡くした寡夫寡婦が一千日を過ぎてから再婚しても世間はそれを道理にかなっ たものと見なす。ところがもっと早い時期に再婚が起こると、世間にショックを与えるこ とになる。 霊がいたるところにいて、しかも人間に対して力を振るっているという宇宙観は、幽霊の 恐怖と魔術の習慣をジャワ人に培った。満足している霊は子孫や念じてくれる人間に恵み をもたらすが、虐待されたり見捨てられた霊は人間に恐怖を与え、危難をもたらすものに なる。夫妻はジョクジャで暮らし始めてからほどなく、こんな街の噂を耳にした。 マリオボロ通りをひとりで行ったり来たりしていた美しい娘が、後ろに乗せてくれと自転 車の青年に頼んだ。娘を乗せて青年がしばらく走ると、ベチャと衝突して気が遠くなった。 青年が意識を取り戻したとき、墓地の中にひとりで横たわっている自分を見出して、恐怖 に震えた。 全般的にインドネシア社会では、幽霊は人間の暮らしに深く関わっている。合理的な解釈 のできない不可解なできごとが起こると、たいてい幽霊がスケープゴートにされる。 たとえば、置いてあったはずのお金が消え失せていると、tuyulだのbabi ngepetだのが犯 人にされて一件落着してしまうこともしばしばだ。現代インドネシアでこのトゥユルなる 者の正体は、貧困者が金持ちに対して抱いた嫉妬から生まれたものだという分析がなされ ているが、1950年代にはその実在を信じる者も少なくなかった。フォースター夫妻が 聞き集めたジャワの幽霊や妖怪には次のようなものがいた。 *Puntianak 夜、若者を誘惑して淋しい場所へ連れ出し、着くと本性を現す。水上を浮 遊して相手の男を怖がらせ、気絶させる。 *Gendruwo 死ぬ心構えのない状態で殺された者の霊。墓地の砂利を誰かの家の屋根に投 げつける。 *Wewe ウェウェは子供をさらう。 *Peri 絶望した乙女の霊がプリ。 *Medi Pocong 埋葬の仕方に手落ちがあり、頭ひもがほどけたのを怒って吠える。 *Cumpelung 夜中に出てくる骨の幽霊で、断頭された頭蓋骨が転がりまわり、腕の骨が カチカチと音を鳴らす。地面の上を蛇のように滑って動き、ときどきはらわたをドサッと 音を立てて地面に落とす。 *Banaspati 正午に地中から飛び出して現れ、手でとても素早く走る。目にした子供を 追いかけて捕まえ、むさぼり食う。 *Buta 太陽を呑み込んで日蝕を起こす。しかし身体がないために呑み込まれた太陽はほ どなくまた出現する。ゴンを鳴らして脅かしてやると、太陽の出現速度が高まる。 [ 続く ]