「1950年代のジャワ人(11)」(2023年04月21日)

*Banaspati
 いわゆる火の玉がバナスパティだ。低い高さに浮かび、空中を飛んで移動する火の球あ
るいは渦状の火であり、それにちょっかいを出す者を焼き殺す。この火の精が火の形をし
ているとき、banaspati geniと呼ばれる。ジャワ語のグニは火を意味する。

一方、フォースター氏が記録した特徴のバナスパティは、正確にはbanaspati tanah liat
と呼ばれる者かもしれない。しかし特徴の表現が少し違っている。バナスパティタナは捕
まえた人間の血を一滴残らず吸い取って殺してしまう。たいてい森の中に隠れていて、身
体が土に触れていない人間が餌食になるとされている。バナスパティタナの懸念があると
きは、サンダルを脱いで裸足で土の上に立つことが勧められている。

*Buta
 この綴りはジャワ語でブトと発音され、人間の形をした巨大な食人鬼を意味している。
語源はサンスクリット語のようだ。一方、インドネシア語の場合はブタと発音されて盲目
の意味を示す。ところがジャワ語のbutaもインドネシア語に取り込まれたため、インドネ
シア語でのbutaという綴りはどちらもブタと発音されるが盲目と食人鬼のふたつの意味を
示すようになった。

これでははなはだややこしいので、その間の事情をよく知っているひとはインドネシア語
文の中に食人鬼の意味で書かれたbutaが出てくると、それをジャワ語扱いしてブトと読む
ひともいる。

正確には、日蝕のときに太陽を呑み込む者はBatara Kalaという名前であるため、現代で
はたいていその名前で呼ばれている。昔のジャワ人はバタラカラが巨大な食人鬼であった
ためにブトと呼んでいたのかもしれない。


日蝕や月蝕が起こるようになった事の発端は、ヒンドゥの天上界にあった。バタラカラは
シヴァ神の子供として生まれたが、呪いをかけられてブトになった。あるとき、ブトであ
るバタラカラが神々の集いに紛れ込んで一緒に永遠の水を飲んだ。ところが、資格を持た
ないブトが混じっているのを陽の神スルヤ神と月の神ソマ神(ラティ女神とも言う)がウ
ィスヌ神に訴えた。ウィスヌ神はバタラカラの首を切り落としたために、首から下は籾を
突く臼lesungになった。

頭だけになったバタラカラがスルヤ神とソマ神あるいはラティ女神に怒りを向けたのも当
然だ。バタラカラはかれらを追いかけまわすようになった。追いかけて捕まえると、呑み
込んでしまうのだ。ところが呑み込んで喉を通ったら、身体がないのだからまたすぐ外に
出て来る。太陽や月が呑み込まれてまた喉から出て来るまでの間、日蝕や月蝕が起こって
地上は真っ暗になるのである。しかしその闇もすぐにまた元に戻る。


地上が日蝕月蝕によって闇に覆われるとき、田畑の栽培物は水をかけ続けなければ死んで
しまうと昔のジャワ人は信じていた。また果樹は木を叩いてやらなければならない。そう
しないと、バタラカラの怒りの波長がそれらに届いて無事で済まなくなるのである。

人間は、地上が闇に覆われている間、眠ってはいけない。眠ると怒りの影響を蒙る。家畜
も同様で、もし眠ってしまうとそのまま起きなくなる可能性が高いから、蝕が起こってい
る間は木の棒などで家畜を軽く打って眠らないようにさせなければならない。

特に人間の妊婦は危険が大きく、胎児は容易に影響を受けるため死産になるおそれがあり、
無事に生まれても五体満足で生まれる保証がない。妊婦はベッドの下などの安全な場所に
隠れなければならず、また蝕が終わったらスラマタンを行って安全回復を確実にさせるこ
とが勧められていた。[ 続く ]