「ヌサンタラのサンバル(11)」(2023年04月25日)

バンドンのとある食事ワルン店主は、サンバルは大別して二種類あると解説した。ひとつ
はsambal dadakanと呼ばれるもので、食事の直前にサッサッと作って生で食卓に載せられ
るもの。もうひとつは炒めたり加熱したりといった調理プロセスを経るもの。

昨今はサンバルダダカンの人気が高まっていると店主はコメントした。辣いサンバルダダ
カンが消化に悪影響をもたらすことはないと多くのひとが信じているそうだ。調理プロセ
スを経るサンバルよりも、ダダカンの方がフレッシュであるのは明白だという要因がその
ような判断に向かわせているのかもしれない。

バンドンの食堂の中には、小さいチョベッに入ったサンバルが無料サービスされるところ
もある。別の食堂では、大きいチョベッにサンバルトラシとララップがたっぷり置かれて
無料サービスされている。


タシッマラヤ県チアウィのウイスさんのお宅では、食卓にサンバルを欠かせたことが一度
もない。そのときのおかずが何であろうと、ララップは常に卓上にあり、その友になるサ
ンバルも必ず控えている。サンバルトラシか、あるいは適当に台所にある素材を使ってサ
ンバルダダカンが作られる。チャベラウィッ・赤バワン・塩は必ずあり、その時しだいで
トマトやトラシ、そして他の素材が適宜加えられる。

すべて生のまますりつぶして供するダダカンスタイル、トラシのように加熱するもの、あ
るいは素材を先に焼いたり炒めたりするもの。似たような素材の組合せでも、処理方法の
違いによって豊富なバリエーションが得られる。

取材に訪れたコンパス紙記者がテンペムンドアンとサンバルでお呼ばれしていると、「辣
味が足りないですか?作ったわたしにはけっこう辣かったですけど。」とかの女は言って
笑う。記者は美味い美味いと喜んでテンペにサンバルを塗りたくり、口に運ぶ。テンペと
サンバルのどちらが先に無くなるだろうか。カプサイシンは快楽ホルモンのエンドーフィ
ンを活発化させるのだ。

「スンダ社会の暮らしと文化におけるララップ」の著者ウヌス・スリアウィリアは著書の
中で、サンバルの味覚の優劣は素材のクオリティだけでなくcoet(チョベッ)とmutu(ウ
ルカン)にも影響されると書いている。粘土製チョベッと竹の根製ウルカンで作ったサン
バルは石のチョベッとウルカンで作ったものよりも美味なのだそうだ。


西スマトラ州では、サンバル売りよりもブンブ売りのほうがなじみがある。サンバルは言
ってみれば最終製品だが、ブンブは料理の素材だ。ミナンカバウの市場にはブンブ売場が
あって、さまざまなブンブが販売されている。家庭の主婦がそれを買ってきて料理に使う。

これは一種の社会的分業だろう。ブンブに至るまで料理に必要な一切をすべて自分で用意
するとなるとたいへんな仕事量になる。この社会的分業によってミナンの女性は大いに助
かっているにちがいあるまい。


パヤクンブのイブティムル市場にあるブンブ売場の奥で7人の女性がブンブ作りに精を出
していた。バケツ一杯分の生トウガラシをペースト状にすりつぶしたエルマさん40歳は、
次のバケツ一杯のトウガラシを大きいざるほどもある石のチョベッの上に広げはじめた。

やせた体躯のエルマは身体を少し前傾させ、石のウルカンを握りしめてトウガラシをひと
つひとつすりつぶしていく。トウガラシのつぶれる音が速いピッチの一定したリズムを作
り出す。トウガラシの辣く熱いアロマがエルマのいる空間を満たし始める。かの女の手の
ひらはトウガラシのペーストと汁でいっぱいだというのに、痛みや熱さをこらえているそ
ぶりは見られない。

「ああ、大丈夫ですよ。わたしはチャベの熱さに慣れてるから。これはジャワのチャベで、
熱さはだいたいこんなもの。メダンのチャベだともっと熱いです。」
そうは言っても、ときどきヒリヒリと来るのだろう。かすかな悲鳴が口からこぼれ、顔を
しかめることも時に起こる。記者から近い位置で働いている仕事仲間のユスミナルさんが
記者に語った。

「わたしがはじめてここでチャベをすりつぶす仕事をしたとき、手が熱くなって耐えられ
ないくらいだったわ。何度も何度も水で手を冷やしに洗い場に行きました。でも、今はも
う慣れちゃったのね。手の皮が厚くなったんじゃない?」
[ 続く ]