「1950年代のジャワ人(13)」(2023年04月26日)

ブトイジョに対する魔除けは、黄色い竹の小片にひもを通してネックレスのようにかけて
おけばよいとされている。ブトイジョが狙うのは子供だけのようで、女性の操をむさぼる
者ではないようだ。だから他の女好き悪霊ほどの脅威は感じられず、ただおどろおどろし
いという怖さがあるだけではないだろうか。

とは言っても、ブトイジョは人間の願望を成就させる力を持っていて、その助力を得た人
間は自分の大切な何かを代償としてブトイジョに捧げなければならなくなる。その代償、
往々にしていけにえ、をインドネシア語でtumbalという。ブトイジョはtumbal nyawaを求
めることが多い。

ブトイジョが持っている能力の中にpesugihanというものがある。ジャワ語のスギは金持
ちを意味している。日本人の杉さんがジャワへ行くと、きっと誰もが大金持ちと思うだろ
う。プスギハンとは黒魔術を使って金持ちになる方法を指している。プスギハンに関わる
悪霊や妖怪にはトゥユルやバビ~ゲペッなどもいるが、ブトイジョの貫禄には及ばないよ
うだ。そのため、ブトイジョと連絡を取ることのできるドゥクンは商売繁盛している。


トゥユルは坊主頭の子供の姿をしたジンで、かれの飼い主のために近隣の住宅を回って家
の中に置いてある金を集めて来る。トゥユルが求めることをしてやるなら、だれでも飼い
主になれるそうだ。トゥユルを数人飼っている人間がいるという話もある。

このトゥユルがどうして銀行に入ってごっそりと札束を取って来ないのか?ATM機の中
のお札は金属ではさまれており、ゴムバンドや何かではさんであるお札をトゥユルは抜き
取ることができないというのがその理由として語られている。銀行にある新札はすべて帯
封で縛られているではないか。

おまけにトゥユルは目から鼻に抜けておらず、頭にちょっと抜けたところがあるため、時
々お札でない切符や領収書や金銭レジのレシートなどを持ち帰ることがあるそうで、飼い
主はしばしばがっかりさせられるという話を飼い主のひとりがしていた。

引き出しのように人間が誰でも開くことのできる場所にあるお札はトゥユルの獲物になる
のだが、金庫のような一度閉じられると鍵を持っていない人間に開けることができない場
所はトゥユルにも開くことができないという説明もあり、トゥユルの銀行泥棒不可能説は
世間周知のことになっている。

バビ~ゲペッは黒魔術を身に着けた人間が妖怪イノシシに変身し、透明イノシシになって
見とがめられることなく他人の家に入り、現金を盗むというプスギハンだ。これも銀行泥
棒不可能説がいろいろな理由で語られている。トゥユルとバビ~ゲペッについては、次の
ページをご参照ください。
インドネシアの「妖怪変化と超常譚」
http://indojoho.ciao.jp/koreg/liblenik.html


*Lamphor 
 現代ジャワ語ではlamporと綴る。元来は日没時に川から聞こえる大きなざわめき音を指
していて、南海の宮殿からヨグヤカルタ王宮あるいはムラピ山の宮殿に向かうニャイ・ロ
ロ・キドゥルの家来の一行が空中を移動するために出している音だと信じられている。こ
の言葉はインドネシア語に取り込まれており、KBBIには行列行進する霊と説明されて
いる。

しかし現代インドネシアの都市伝説では、ランポルは空中を飛ぶ棺架の姿で描かれる。イ
スラム式の葬式は遺体だけを土中に埋葬するので、柩は遺体を墓穴まで運ぶためのものに
なっており、遺体と一緒に埋められることがない。棺架とはその運搬用の柩を意味してい
る。空中を飛ぶ棺架は目に見えない悪霊がある場所の上空で飛ばしているものであり、夜
中にたまたま家の外に出てそれを見た人間は姿を消して二度と戻ってこないか、もしくは
狂人になって戻ると言われている。

悪霊の姿は玉の形をしている霊魂だという説があり、また人間の形をした黒い煙状のもの
だと語るひともいる。ただし人間の形とは言っても脚がない。その悪霊は人間を殺し、棺
架に入れて連れ去るのだそうだ。もしも夜中に家の表戸をノックする者がランポルの悪霊
である場合、扉を開いたが最後、その者は病気になり、たいてい生命を落とす運命をたど
る。別の話ではノックもなしに家屋内に入り込み、眠っている者を殺して棺架に移し、魔
界に運び去るとも語られている。ランポルの悪霊はしゃがむことができないので、ランポ
ルが来たときはベッドの下や床の上に寝ていると被害者にならないという魔除けの方法も
勧められている。[ 続く ]