「クドゥスギイデオロギー(前)」(2023年04月27日)

ライター: 文化オブザーバー、文学者、インドラ・トランゴノ
ソース: 2013年12月7日付けコンパス紙 "Ideologi Kudu Sugih" 

パンチャシラについての討論会で、ひとりの青年が抗議の声をあげた。「パンチャシラに
関する皆さんの講義はわれわれに眠気をもたらすだけです。われわれは神秘の力を持つク
リスの話を聞かされているようなものだ。それの効用や使い方などわれわれには何も分か
らない。」青年の表情は緊張でこわばっていた。

パンチャシラがこの民族の慢性病に対する特効薬だと信じていた諸先生はその反応に愕然
とした。それどころか、怒りを抱いたかもしれない。その青年は礼儀をわきまえておらず、
更には失礼な人間だと見なされた可能性もある。

しかし内心ではかれらも気付いていたはずだ。これまでパンチャシラは、民族の集合記憶
という名の宝物箱に保管されているただのお守りでしかなかったということを。この民族
の、とりわけ国家運営者や行政遂行者の真相は、kudu sugih(イ_ア語でharus kaya)イ
デオロギーのほうをパンチャシラよりはるかに強く信奉していたのだから。


クドゥスギイデオロギーはオルバ期に成長し強まった。スハルト政権のもとで、オルバは
パンチャシラの諸価値を封じ込め、凍結するのに成功したのだ。パンチャシラの機能も鼓
吹に満ちたイデオロギーから単なる権力合法化ツールへと変化した。パンチャシラの名に
おいて何をしようが正当であるとオルバは確信した。政治体制に批判的な言動を厳禁する
ことを含めて。

その集合的制圧プロジェクトに費やされた文化コストは高いものについた。より高い文明
を目指す変化の価値とホライズンに刻み込まれていたオリエンテーションをこの民族は失
ったのである。民族の倫理とエトスは、キャピタリズムやインダストリアリズムといった
諸イズムを伴う開発という名の機械の奥深くに閉じ込められた。最終的にこの民族は、オ
ン=オフボタンを資本が支配するマシーンになる方向へと向かったのだ。


オルバを交代した諸レジームはますますパンチャシラを放念するようになった。かれらは
パンチャシラを社会的文化的儀式の場に飾り付けてしまった。経済・社会・政治の分野で
ひとびとは獰猛になり、手あたり次第の物をかき集めるようになった。行政・立方・司法
のいずれもが権力レベルに応じた汚職を祝福するようになり、政党とブラック事業者もそ
の大衆泥棒劇場に出演するようになった。

政府予算収支は毎年穴があくことの繰り返し。民族の資産は売却される。かれらは自分の
国家と民族を貧困に落とし込むという皮肉な役割を演じるレジームに成り代わった。国土
の持っている豊かさが搾り取られ続けたこの国で、外国勢力は相も変わらず威勢に満ちた
旗をなびかせている。クーリーと資本の力にひれ伏すブローカーのあふれる民族になる道
を、この民族は意識の欠けた国家政府運営者によって歩まされているのだ。クドゥスギイ
デオロギーはその土壌に生育し、強化されて行く。このイデオロギーの息遣いは日常生活
の中で、wani piro?(イ_ア語でberani bayar berapa?)という言葉が代表している。
[ 続く ]