「1950年代のジャワ人(終)」(2023年04月28日)

ジャワ固有のものがその中にあるのかないのかはわたしの論じられるところではないが、
そのストーリーを組み立てるのに使われた物差しやハサミや接着剤は明らかにジャワ人固
有のものだろう。オリジナリティに剰々たる価値を置く者には多分、物差しやハサミや接
着剤に意識を向ける余裕など存在しないかもしれないが。


宇宙ができたとき、人間界はまだそこに存在しなかった。それはつまり、まず最初に超自
然界が作られたことを意味している。霊的存在が宇宙の先住者だったということだ。その
後muditaと呼ばれる人間界が作られた。ムディタには高度な権利が与えられた。つまり高
い能力を持ち、それを駆使するという権利だ。あらゆるものに名前を付け、適材適所に配
剤し、秩序を統べる力である。ムディタは空(くう)から発した世界に生をもたらしてそこ
を賑わいで満たすものだからだ。

この世が作られる前に宇宙を構成していたのはsunyaruriであり、それは人間の目に映ら
ない、ただ感じることだけができるものだった。それは清く、無にして、穢れの排除され
た原初界であり、alam purwaと名付けられた。そこにムディタが作られ、更に終末界であ
るwasanaも作られた。

スニャルリは果てがなく、辺縁もなく、空で静謐な環境であり、そこに感覚が存在したか
どうか判らない。ムディタはそのすべてがひっくり返り、ワサナはプルワに倣った。


宇宙ができたとき、太陽・地球・空気は既に作られていた。そして美しい光が作られ、人
間は人間界のさまざまなものを見ることができるようになった。宇宙に必要な要素として、
聖なる水kamandhanuが作られた。穢れのない純粋なカマンダヌにさまざまな成分が溶け込
んで、それはpadmasariになった。

次いでrijalが生まれた。リジャルは光の精髄であり、白・緑・黄の三色から成っている。
白はgarini、緑はnurani、黄はhandiniという名で、その三つがsukmaの生命になった。ス
クマは人間の霊魂だ。霊魂が人間の内部で生命を持ったとき、人間の生が始まった。


リジャルは小指の先ほどのちっぽけなものでしかないが、人間にとってはとても重要なも
のだ。リジャルは日によって変化する。金曜日は黄色い光で西から東へ移動する。土曜日
は赤みがかり、南西から北西へ移動する。日曜日は赤色になり、南から北へ移動する。月
曜日は白色で東から西へ、火曜日は青で北東から南西へ、水曜日は青のままで天空にとど
まり、木曜日は黒に変わって北から南へ移動する。ジャワ人はそのリジャルの動きに合わ
せて自分の行動を統御しないと、悪い結果が生じることになると考えている。リジャルの
動きが人間に恵みや褒美をもたらすのである。

人間はリジャルを通して色を識別するので、善悪を区別して完璧に生きることができる。
ヒヤンスクマに溶け込んで人間に生命を与えたリジャルは超自然的存在だ。そのために、
真のヒヤンスクマとコンタクトしようと考える人間は自己の内部に備わっている超自然の
感覚を開いてやらなければならない。

正しい超自然の感覚を通して、人間はsasmitaを受け取ることができる。人間がヒヤンス
クマと接触するようになると、自己の内にあるIngsunと向き合う道が開かれる。インスン
とは生命そのものなのだ。インスンは火に由来する超自然の光pramanaの形をしている。
プラマナを見出すために女はmayangsarkara、男はmayangkaraの段階を経る。マヤンサル
カラとマヤンカラは合体してmayanggasetaを作る。マヤン(愛)ガセタ(Gusti)とは神の
愛が人間の中に下ったものだ。

その段階に至った者はsatria(Kawula)とpinandhita(pendeta)の合体した人間になる。こ
れこそがジャワ人にとって理想的段階の人間とされているmanunggaling Kawula-Gustiな
のである。

この天地創造譚はガジャマダ大学教授のスワルディ・エンドラスワラ博士の著作からかい
つまんで抜き書きしたものだが、果たして読者のお気に召しただろうか?[ 完 ]