「ジェンキ建築(前)」(2023年05月02日)

ライター: 環境育成オブザーバー、イマム・プラコソ
ソース: 2002年2月11日付けコンパス紙 "Arsitektur Jengki, Perkembangan 
Sejarah yang Terlupakan" 

1950〜60年代のインドネシアの建築発展史はjengkiと呼ばれる建築スタイルに彩ら
れた。そのユニークな風貌はそれ以前のオランダコロニアル様式との違いを大きく浮き出
させた。その出現は時代が招き寄せた状況への挑戦に対する直接的な答えであり、同時に
時代のスピリットを滲ませたものだった。


インドネシアにジェンキ建築様式が興ったのは、インドネシアが国家としての発展を推進
した史的事実と深く関わっている。オランダ人が徐々にインドネシアを去って行ったこと
がジェンキ様式時代の到来と表裏をなした。オランダ人建築家がインドネシアを去り、そ
の空白をまずインドネシア人建築家が埋め、更にオランダ人が築いてきたコロニアル諸都
市でオランダ人建築家の仕事を実現させていたインドネシア人技術者や現場監督たちがそ
れに続いた。

ジェンキという言葉は建築界の専門用語ではない。語形論的には、jengkiは英語Yankeeに
由来すると考えられている。米国北部ニューイングランド地方の住民を指す言葉だ。ブデ
ィ・スカダは、ジャカルタや西ジャワで人気のあるジェンキ建築家をヤンキー建築家と呼
ぶ者がいたことを指摘している。その当時人気を集めたファッションスタイルの中にジェ
ンキズボンcelana jengkiと呼ばれるものもあった。


インドネシアでのジェンキ建築様式の登場は、オランダ人建築家の片腕となって建築物を
作っていたプリブミ建築家たちが世に出るようになった経緯を踏まえて眺める必要がある
だろう。かれらプリブミ建築家たちのほとんどは建築に関して中級レベルの教育しか受け
ていなかった。1950〜60年代に起こった政治の変動がオランダ人建築家の数を減少
させていくのと並行して、初期のインドネシア人建築工学士や現場で叩き上げた建築技術
専門家たちが空白になった座にすわり、かれら新興のプリブミ建築家たちがジェンキ様式
を打ち立てるポイントになった。

ジェンキ様式を特徴付けるいくつかのパターンの分布は、当時まだ残っていたオランダ人
建築家と新興のまだ数えるほどしかいないプリブミ建築家、そして多数の建築技術専門家
の分布と深く関連しているように思われる。つまり大都市では建築デザインの専門家が容
易に得られただろうが、地方の小都市では建築技術の専門家たちがデザインを作る傾向を
生じたことが考えられるのである。


建築作品として、ジェンキ様式とコロニアルスタイルの間にいくつかの違いを見いだすこ
とができる。ヨセプ・プリヨウトモはジェンキ様式について、切妻屋根があることを特徴
のひとつに挙げている。ところが一般的な住宅建築様式と違って、ジェンキ様式家屋は屋
根の高さが異なっていて、屋根の傾斜角が35度を超えることも稀でない。この屋根を作
るために建物前面に幅広の壁が設けられ、建物のファサードに特徴的な要素を与えた。

gewelと呼ばれたその壁は更に建築デザインにおける創造性のキャンバスになった。傾き
のある幾何学的な五角形の印象をもたらす壁によって建物ファサードにさまざまな表情を
形作ることが可能になったのだ。この傾きを持つ壁は実際面で建物の強度を直接高めてい
るわけではなく、ファサードの表情作りのほうにより大きく貢献している。

大きい傾斜角を持つ屋根は、ベランダの形態をより自由なものにできるという、また異な
る特徴を生み出した。このベランダが建物の表玄関入り口にポルティコを形成して屋根の
ある玄関が作られた。ベランダの屋根は一般的に平屋根が選択されることが多く、その結
果、平屋根は建物主館の切妻屋根との対照を印象づけてひとつのアーティキュレーション
を感じさせることに成功している。

ベランダは客を出迎える場を示し、また建物内への入り口を強く印象付け、屋内に余裕を
感じさせ、また風を引き込んで室温を低めるといったいくつかの機能をもたらしている。

ジェンキ様式によく見られる別の特徴は、通風の効果を目的にするルースター構造の使用
だ。家屋内の各空間によい通風状態をもたらすことがそれの本来的な機能であるというの
に、ジェンキ様式で使われているルースター構造は通風機能が二の次にされ、新しい様式
の審美感を追求するためのものにされている。[ 続く ]