「イエス・キリストは共産主義者か?」(2023年05月03日)

ライター: 語義傾注者、サムスディン・ブルリアン
ソース: 2017年12月16日付けコンパス紙 "Komuni(s)" 

世紀の変わり目にマルクで、宗教紛争による内戦のために住民が放棄したある村の崩れか
けた建物の壁に太い文字の落書きが残されていた。 Yesus PKI それがいかに真実に近
い図星を衝いているかということに、それを書いた者はきっと気付いていなかったことだ
ろう。もちろん、書いた者が意図した意味においてではない。

イエス・キリストが原始共産主義の有力者だったという見解は少しも新しいものでないし、
昔からさまざまな宗派のキリスト教神学を学ぶ者はそのポイントに関する検討を行うのが
常だった。そのポイントこそが2千年前にイエスのコミュニティに大きい魅力をもたらし、
コミュニティを膨らませてキリスト教界を形成する原動力になったのである。

西暦紀元の最初の世紀に多くの人々がアルマシの教えに惹かれたのは、komuni(同盟した
者たち)の間で自由意志にもとづいて自分の持っている財や諸物を互いに分かち合う生活
パターンが導いたものだったのであり、クリスマスプレゼントを買って交換するような習
慣に起因したのではない。それを祝日にして祝う風習は4世紀にはじまったものだ。


最初、ローマ人支配者のライフスタイルに対する反対と拒否というアンチエスタブリッシ
ュメントの一形態として起こったこのコミュニティのライフスタイルは、一部の神学専門
家や政治社会学者によれば、カール・マルクスが行った理想的共産主義社会コンセプト検
討の中のモデルのひとつとしてかれの結論に影響をもたらしたとされている。マルクスの
両親はユダヤ教からキリスト教に改宗したため、カールはキリスト教文化の中で生まれ成
長したのだ。

コミュニズム的理想がマルクスによって創造されたのでないことは言わずもがなだろう。
古代社会の多くはコミュニズム的だったのである。イエスのコミュニティの初期の姿は、
かれら自身の記録役のひとりによって、このような文章で描かれた。
そして全員が一体であり続けることを信じ、自分たちの所有物はすべてが共同の所有物で
あり、かれらの間に常に所有物を売る者がいて、それぞれの必要に応じて全員にその収入
を分け与えた。


アメリカインディアンのような農業勃興前の狩猟採集社会はコミュニズム的であるという
見解をマルクス自身も抱いた。それどころかマルクスは、トーマス・スタンフォード・ラ
フルズの著書History of Javaを読んで、オランダ時代以前のジャワの村落部はコミュニ
ズム的であると結論付けている。

そのようなコミュニズム的ライフスタイルがキリスト教世界の中で広がりを見せることは
もはや起こらないものの、その原理は信徒同士や信徒と一般社会もしくは神との関係ある
いは相互作用の中で、また公的私的な宗教儀式の中で、依然として共同生活における教え
の核になっている。

クリスマスの祝祭には通常、貧困者困窮者・虐げられたローマ支配下の社会・大家族の保
護から引き離されて家畜小屋での出産を強いられた母・牧童たち等々と神との連帯という
コミュニズム的メッセージが伴われる。キリスト教界のドクトリンも同盟の意味を持つコ
ムニの語を偉大視する。それどころか、既に歪められてたくさんの批判を浴びている商業
主義的クリスマスプレゼントの大洪水でさえ、その根源には分かち合いの原理が反映され
ているのである。


ラテン語communioとギリシャ語koinoniaに由来するコムニは連帯の中での分かち合いを意
味し、更にいくつかの特別な意味における神学上のコンセプトを与えられた。聖餐を意味
するKomuni Kudusは、イエスの肉と血を象徴する一切れのパンと一口のワインを口に入れ
て神と連帯する儀式だ。Komuni Orang Kudusは一般的でユニバーサルなひとつの理想的教
会の中で信徒が結ぶ連帯と兄弟愛だ。

聖なる神が罪に穢れた人間を救うために地上に降臨するというコンセプトから発して、困
窮にあえぐ者、貧困者、後進的社会、虐げられた民衆、異民族支配下に落ちた民族たちが
築く人間同士の結束の意味がコムニにたっぷりと注入されているのである。